遊んで育つ その2

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さて、前回は、今はなくなりかけている遊び「ことしのぼたん」の話をしました。
今の2年生の子どもたち30人ぐらいにこの遊びの説明をして、

「遊んだことある?」

と、アンケートを取りました。
なんと、遊んだことある子が、1人だけいました。保育園で遊んだことがあるそうです。

多分、すごく研修されている先生がおられるのかなぁと思います。
他の子も、もしかすると遊んだことがあるのかもしれませんが、記憶に残るほど何度も遊んだわけではないのだと思います。

さて、すごい遊びの「ことしのぼたん」なのですが、ここに「すごく大切なものがある様に感じた」と書いて前回は終わったのでした。

この遊びを子どもに説明したとき、

「かわった鬼ごっこやなぁ」

と子どもたち言っていたのですが、この遊び、大切なところは当然、「鬼ごっこ」の部分ではなくて「お芝居の部分」にあります。

これは、幼稚園の子ぐらいから、小学校低学年ぐらいまでの遊びです。
そして、これはこのまま、大きくなっていたときの「遊び練習」になっているのです。

最初、オニは、みんなに

「まぜて」

と言います。
この一言、一緒に遊ぶためにすごく大切な一言なのです。

最近、この言葉が言い出せなくて、モジモジとしていたりする子が、多いような気がします。
また、モジモジしているだけでなく、積極的に関わっていくぞと果敢に友だちにちょっかいかけに行く子もいます。
でも、それが、友だちのおもちゃを取り上げてしまうとか、そういうちょっかいになってしまいます。
実はその子は、

「一緒に遊ぼう」

って思って、おもちゃを取るわけです。おもちゃを取ったら、遊びも一緒に自分のところにくる思っているわけです。でも、遊びはとれません。しかも、なんか友だちは、怒っている。負けたらあかんと思うと、その子も荒れるしかなくなるんですね。

そういうことが、幼稚園とか、保育園では成長段階として当たり前のこととして起こるわけですが、卒園して、そういったことをクリアしているはずの小学校に入った子どもでも、同じような対応しかできない場合が多くなってきているのです。

それは、機械とばっかり遊んだり、1人遊びばかりしてきて、人間同士の関わり合いが少ないために起こってくるのだと思います。

そういう意味で、「ことしのぼたん」の「まぜて」は、どうやったら、友だちを上手に誘って遊ぶことができるのかという本当に大切な練習になっているわけです。
だから、何回も断られることにも意味があります。遊びに入れてもらう場合には、1回言葉を伝えただけではダメな場合があるわけです。勇気を出して、「入れて」って言っても、声が小さくて相手に聞こえてなかったりしたら、何回でもチャレンジしなければならないわけです。
そして、この何回も断られる先には、ゲームとして絶対に入れてもらえるという保証があります。だから、子どもは、「実際に遊びのなかに入れてもらえなかったらどうしよう」というものすごくきつい心配をすることなく、「3回言えば入れてもらえる」という安心感を持って、勇気を出して「入れて」と言う練習ができるわけです。

じゃあなんで「天秤棒でぶつ」のだろう?とか、じゃあなんで、昼ご飯が「へびとかえる」なんだ?という部分は、結構謎のままで、よい面だけをちょっと考えすぎと思われるかもしれませんが。

社会性であったり、友だち同士の関係であったりと、人間が生きていく上でとても大切な部分は、学習のなかではなく、人間同士の遊びの関わりのなかでしか生まれてきません。
今、子どもたちは、望めば他人と一切関わらずに機械に遊ばせてもらうことができます。でも、機械には、人間を育てていくようなことはできないのではないかと思っています。
そういった部分を高めていくような遊びを子どもたちにはすすめていきたいものです。