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贖いの聖者

無垢ななにかが、ぼくたちを救ってくれる。
そういう物語が、消費されていた時代だったのです。

でも、現実には、すがられた無垢なものは、耐えきれなくてつぶれちゃう。
救済の物語は、すがる側だけしか理解できないものであったりしました。

そんな中で、すがるのではなくて、捨てていき、自分の足で立つことで、自分自身をすくっていこうというこの物語は、とても、新鮮でした。
けっして、成功しているとは、いえないけれども。

やっぱり、ついていくことは、メチャクチャ魅力的に見えます。
ここではないどこかに、だれかに手を引いてもらって。

その誘惑は、なんどでも、なんどでも、人を襲います。

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僕は天使の羽根を踏まない

「転生編」があって、その後、エピローグとして「天使編」があって、完結するのだと思っていましたが……。
この「転生編」の完結で、多分、摩陀羅は、完結してしまうのでしょうね。

物語による物語の否定。
でも、その否定すらも、物語にしか過ぎないとすれば、ぼくらは、なにをよりどころにすればよいのでしょうか?

このスニーカーの足の裏の広さほどの現実の中に生きていく少年、少女。
でも、そのスニーカーの下の世界は、現実と呼んでいいのかな?

かつて、白倉 由美が、「卒業、最後のセーラー服」のラストで、主人公たち2人に命の樹を植えさせるラストを描きました。
そして、その予定調和的なラストに、激しく混乱したそうです。
その完全版(?)である「懐かしい年への手紙」では、そんな場所はなかったんだと、男の子の死という現実を描いて見せました。

大塚英志は、そのとき、その場所が「どこにもない」と気付いた白倉 由美に比べると、かなり甘い、やさしい作家なのだなぁと思います。

わたしは、3巻まで出された「天使編」がすごく好きだったので、あの続編を読んでみたい気がするのですが、多分、大塚 英志の中では、摩陀羅は本当にこれでおわってしまったんだろうなと思うと、残念です。