魔女がいっぱい ロアルド・ダール コレクション 13
「ネズミの心臓」の章で語られる言葉。これは、本当に子どもにとっての真実だなぁと思いました。
これがあるから、ダールって、侮れない。
でも、全体的には、この異種族への理由のない憎悪には、同意できないわたしです。種族をひとくくりにして憎悪している感じがイヤ。
おばあちゃんも、てっきり、魔女なんだと思っていましたが、それは、予想はずれでした。
えーと、『ゆうもあゲーム会・草津』のときに行く定番のお店といえば、「ぱふ草津店」です。
で、さらに、「パティクローバー」まで増えましたからねぇ(笑)大変だ。
まあ、時間的にどっちかにしか寄れないので、今回2月3日は、ぱふ草津店へ。
買いそびれていたでっかいゲームが入荷していたので、購入。
そして、絶版になってなくなるという貴重な子どもゲームを再び購入。
さらに、もっと大きなゲームまで買おうと画策。大丈夫か?
ということで、「ゲームリスト」を更新しました。
けっこう怒濤の展開でした。
まあでも、1番の秘密は、わかるよなぁ……。
その他は、それなりにはビックリした。
でも、だからおもしろかったかというと……。
なんだろう、何回か書いてきたと思いますが、やっぱり、力に対するおそれが少なすぎると思います。
強い力を持った方が勝ち。弱いヤツは、虐げられろ。悔しかったら、より強い力を持て。みたいな部分が、自分自身で読んでいても気になるし、子どもに読ませるとしても、気になります。
そして、デルトラの意味が……って、この世界の共通語は、英語なのね(笑)まあ、言葉ネタは、今までもいろいろあったか。でも、けっこうがんばって日本語にしてきたのに、今まで、努力してきた訳、台無しみたいな……。
まあ、これで完結。
続きがあるみたいですが、まあ、読むことはないでしょう。
今日は、第20回『ゆうもあゲーム会・草津』でした。
今回は、はぷさんのぱふ通信に、『ゆうもあゲーム会・草津』のことが掲載されて、人数的に多くなりすぎないか大丈夫かとちょっと心配な1日でした。
結果的に、ぱふのちらし効果でこられた方は、6名。
スタッフを入れて、全参加者が45名。久し振りの30人越えのゲーム会となりました。
ただ、ぱふのチラシで来て下さったご家族は、 同じフェリエ6階でのコマのイベントの方に2時から参加されたので、40名があの会場につまるという感じはなかったです。
次回ぐらいからは、和室3部屋とった方がいいかなぁ。
遊んだゲームは、
「フェットナップ」
「イースター島」
「ことば博士」
「ドラゴンの宝」
でした。
「フェットナップ」は、やっと遊びました。初ゲーム。悪くないんだけど、メモリー系のゲームは連続して遊べないので、はまり度は低くなってしまいますねぇ。
絵も、アレだし。
「イースター島」は、おもしろいです。好きです。
「ことば博士」は、わたしは2文字でもいいかなと思います。
まあ、3文字出来る人は、出来る人同士で遊んでいただいて(笑)、わたしは、子どもと気楽に。
「ドラゴンの宝」は、ドラゴンを1番たくさん集めた人が、最後クモを3びきもらえるというルールでしています。
これは、子どもゲームとして、もっと遊ばれてもいいゲームだと思います。
柳田 國男の名前を知ったのは、きっと大塚 英志経由だと思うので、高校生ぐらいの時かな?多分、大塚 英志のマンガを民俗学的に読み取るという評論のなかだったと思います。
そして、「遠野物語」は、高校の時の読書感想文の課題図書の中にあった。実際にわたしが読書感想文を書いたのは、カフカの「変身」で、他の本は読んでいません。
そして、「遠野物語」と「変身」以外は、題も著者も覚えていないのだから、「遠野物語」は、そのときから、ずっと引っかかっていたのだと思います。
内容は、なんとなく聞き知っていた。なんか、昔話みたいな話らしいと。
大学で、「文化人類学」の講義をうけて、おもしろかった。そこで、日本にもよく似た「民俗学」という学問があると聞いた。その大家が、柳田 國男らしいという話も聞こえてきた。
「民俗学」というものの輪郭が、なんとなく朧気に見えてきた。
「遠野物語」。いつか読んでみたいと、新潮文庫の本も持っていたと思いますが、読む機会がないままウン10年。
今回、やっとこさ、その「遠野物語」と、柳田 國男の作品に触れることが出来ました。
昔話だと思っていました。
違っていました。
ここで語られる遠野のお話は、もっともっと身近なこととして語られていました。
そして、アウトローに生きることすら認めてしまう大きさ。
嘘を笑い飛ばして、生きていく強さ。
そこはかとないユーモア。
「草の名と子供」を最初に読んだとき、いや、草の名は子どもが考えたのではなく、大人が考えたのだろう。昔の人は、今の人以上に草と接している時間があったのだからと、思いました。
それから、フッと自分の間違えと、柳田 國男の正しさに気づきました。
そう、昔の子どもは、大人以上に、ずっとずっと草と接し続けていたのだと。そして、そのまま大人になっていたのだと。
この人の目は、決して優しい目ではないと思う。
でも、なんでも、受け入れてしまう大ききな大きな目です。
そして、今、自分がこの年齢だから感じられることもいっぱい入っていると思います。
出会えて、よかったです。