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知恵を育てる唄 遠野のわらべ唄の語り伝え3

全4巻の予定なのだそうです。

今回は、性にまつわる唄と、人を攻撃するときの唄。
はやし唄です。

うーん、今までの1、2巻では、うんうんと納得しやすい部分が多かったのですが、3巻目は、いろいろ考えさせられました。セクハラとかな。

汚い言葉を狩っていくうちに、それがもっとどうしようもない言葉や、どうしようもない状況になっていっているというのは、なんとなく感じていて、本当にこのまま突き進んでいいのか??

でも、はやし唄というのは、同じ文化をもった者どおしの間ならば、それで勝ち負けでもいいのだけれど、文化圏が違うと、一方的に、攻撃だけをしたりされたりする状況も出てくると思うのです。
そして、昔は、生まれ住んだところから外に出て暮らすことは少なかったけれど、今は、そういう状況ではなくなっている。

そういういろいろな文化がまざりあったなかで、極端ではなくて、いい加減を、わたしたちはさがしていかなければならないのかもしれません。

いい加減な結論ですが。

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覇-LORD-16

呂布に子ども見せて、

「今はまだ会わせるだけに止めておく……」

って、けっこう、劉備、卑怯で笑いました。

全体的に、このお話の構造、「HEAT-灼熱-」によく似ています。
この時代の武将たちは、要するに、みんなヤクザもんだったと考えると、確かに、そうなのかもと思えます。

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ふたりエッチ43

なんだかんだいって、服とかの好みは、すごい大胆な優良さんであったという……。
多分、妊娠して、このマンガは、終了になるんだろうな。

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子どもに本を買ってあげる前に読む本 現代子どもの本事情

ところどころ、おぉ、

「その通り!!」

と、喝采をあげたくなるところもあるのですが。たとえば、物語読みな人と嘘の話を読みたくない人がいるという話とか。わたしは、完全に、物語読みな人ですねぇ。
あと、古い本は、読みにくいとか。

でも、全体を通して読むと、何が言いたいのかは、ぼやっとしている感じです。わたしの作った図書館の自慢話?そのわりには、ノウハウは、あんまりあきらかにしてくれていないんだよなぁ。
もちろん、そのノウハウこそが、売りモンなんだから、こんなところでは書けないのかもしれませんが。

まあ、同業者に対しては、

「本ぐらい読めよ」

と思うことは多々ありますが、子ども全部が本好きになることが本当に正しいかどうかはわからないなぁ。あと、子どもで満員の図書館が、いい図書室かどうかも。

子どもが満員御礼の図書室ができちゃうと、古い本と本の間とかにいるひっそりした子どもの居場所が、またなくなっちゃったりもするんです。
割と自分が、そういう子どもだったので。

そういう子たちのために、学校の図書室にも、書庫が欲しいよねぇ。

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ハリー・ポッターと謎のプリンス

「ハリー・ポッターと謎のプリンス」の映画を見てきました。

今回も、原作を先に読んでます。
というか、原作は、最終巻まで読んでしまいました。

ということで、話は全部わかっているし、原作の方が出来がいいので、映画見に行っているのは、もう惰性みたいな感じかも。
でも、前回の「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」は、詰め込みすぎだろうという感じが大きかったのですが、今回は、よくぞここまでまとめたなぁという感じで楽しかったです。
まあ、もちろん、あのシーンはどうしたというのとか、このシーンは映画だけだと意味わからんだろうというのは、やっぱりいっぱいあるのですが、自分が原作読んでからしばらく立っているので、それも感じるのが少なくなっているということもあるかもしれません。

映画見ながら、これ、原作が全部で揃った後に、1作目から映画を撮り始めたら、また全体として違った作りの映画になっただろうなぁと、映画の作り方としては少し残念な作りになったなぁと感じていました。

原作は、基本的に1年1冊のサイクルで、ハリーのはじめのシーンは、ダーズリー家であることとかは、実はけっこう重要な伏線になっているじゃないですか。そういう伏線が、この作り方の映画では活かせてないんですよね。屋敷妖精も、バッサリ切るんなら切る、使うなら使うで、全体を見たときに一貫性がとれたのになぁと思います。

まあ、1作1作が、監督も替わったりして、別々の映画として見なければならないのかもしれませんが、見ている方は、続き物として見てるし、そうでないとわからないところ多すぎですしねぇ。

物語に合わせて、本当に登場人物たち、俳優たちが、大きくなっていくのが、この映画のいいところです。

今回、恋の季節を迎える(前回、ぐらいからか)この映画、子どもの成長は本当にはやいので、それがおもしろいです。

物語的には、1番かわいそうだったのは、やっぱり、ドラコ。この恋の季節に一切関知せずに、ひたすらおびえながら自分の使命を果たそうとします。子どもっぽさが抜けて、いい感じ。

ハーマイオニー、ジニーの女性陣は、男の子よりも成長がはやい。エマ・ワトスンなんか、もう、ほとんど大人です。

一方、ハリーは、女の子よりも、背が低い……。子どもの時は、「子ども」という力があったのですが、ちょっと今この役は、力不足かも。ロンとかが、うまいだけに。

ルーナは、次回作につなげるためだと思いますが、それなりに目立っていました。変な格好して、ウロウロでてきていただけですが。でも、わたしは、ルーナ派(笑)なので、最終的には、主人公とひっつくといいなぁと。あのしゃべり方は、素じゃなくて、演技ですよねぇ。

ネビル、かっこよくなってきてます。ネビルの因縁とか、彼が悪を憎む気持ちの強さとかも、映画ではかかれなかった部分で、残念な部分です。

スラグホーンとかは、イメージ通り。なんというか、基本的には善良なんだけれども、どうしようもなさがある部分がとってもよくでていると思います。そういえば、ベラトリックスとかも、ものすごくイメージ通りです。
このあたりの完成した人のイメージは、ものすごく大切にされています。

そういえば、ミネルバが、ものすごく老けていたような気がしたのですが、これは、効果なんでしょうか、実際にだんだんとこうなってきたんでしょうか?

うーん、こういう原作つきの映画のよいところは、今はもう、同じ本をよっぽどのことがない限り、1から読み直したりしないので、もう1回思い出させてくれるという効果があることかと思います。

この映画は、物語の構造上、どうしても、「次回に続く」で終わってしまいます。

そして、映画の最後に、衝撃的な事実が。

次回、ハリー・ポッターの完結編、「ハリー・ポッターと死の秘宝」は、なんと、パート1、パート2と、2部にわかれているそうです。

そうだよなぁ。そうしないと、おわれねぇよなぁ。

でも、今回、伏線で出さないと行けないリドルの過去とか、結局出てこないまま、ダンブルドアがああなったので……。どうするつもりなんだろう。