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わたしが幽霊だった時

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ版、若草物語(笑)。
4姉妹ということで、多分、意識はしていると思う。

賢い長女。活発な次女。芸術家肌ですぐ悲劇的になる三女。少し思慮が足りなくでも勘が良くて行動的な四女。

でも、若草物語よりは、それぞれ強烈な個性を発揮してくれます。1
姦しいよりも、姉妹1人分、多いですから。もう、喧しい。
で、いつもいつも、ケンカしているんだけれど、仲が悪いかというと、そんなことはない。
そして、その姉妹のあり方というのは、けっこう、あるあると思いました。
そこが、最後の盛り上がりをつくります。
ラストの対決、かっこいい。

主人公は、幽霊です。
多分、自分は次女だと思うのだけど……と、自分が誰かさえあやふや。そのあやふやさ加減とか、ままならなさは、ジョーンズなりの理屈が1本通っていて、ファンタジーだけれどもリアルな感じがします。

ただ、そのもどかしさが、そのまま作品にも出ていて、物語の途中、交通事故が起きるまでが、若干、だるい感じがしました。

でも、その後の展開は、ジョーンズらしい、スピーディな展開でした。

まあ、最後の対決で、アレ差し出して良かったのかとは思うんですけどね。
あれのせいで、未来が変わったのでは?

それでも、そこでそれを捨てたからこそ、これから新しい道を歩み出せるという力強さがあって、読後感は、爽やかです。

この人、ひねくれ者だから、嫌な感じで書いてある人のことを本当に憎んでいるわけでなかったりして、そこがわからないとおもしろくないんです。
だから、ファンタジーだけど、ちょっと大人の読み物なのです。

  1. といいつつ、オルコットの「若草物語」は、わたしは子ども用しか読んだことがない。読まねば(笑) []

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化学の歴史

数学史とか、科学史っていうのは、単純におもしろいので、早い段階で興味のために教えるべきだと思っています。
それのことを人生を賭けるぐらいおもしろいと感じた人がいるということを知ることは、けっこう、子どもの興味を刺激するのではないでしょうか?

まぁ、数学史や科学史が授業に入ってきたら、その評価はどうするのか・、人物の名前を覚えてテストするのか?てな話も入ってきそうですが、でも、評価いらないと思うのです。
評価されないおもしろい話がいっぱいあって、それがフックになって、実際の数学や理科にも興味を持つというのは、アリなんではないかと思うのです。

そうすると、まぁ、実用の世界からは、「役に立たない」とかいわれて、勉強するだけ損とかいわれるのかなぁ。

うーん、勉強しなくてもいいから、講談を聞くみたいな感じで楽しめるといいなぁと思うのです。
そして、実際に、数学や科学で、そのことに触れたときに、発見した人の名前が出てこなくてもいいので、

「これこれ。これって、誰だったかが自殺しようと思っていたのに、解けそうになって自殺思いとどまった問題だよなぁ」

とか、そんな風につながると、

「ちょっと、挑戦してみるか」

とか、

「ちょっとおもしろそう」

と感じるようになるんではないかと思うのです。
これは、多分、競馬をしていて、馬の物語に興味をもったりするのと似ているかもしれない。知識があると、より楽しめる。物語が加わると感動すらできるかもしれない。

今ある、乾燥したデータだけでも、充分におもしろいんだけれども、その裏のドラマを知るとより楽しめる。そんな気がするのです。

それで、今回、この本を読んで、化学っていうのは、けっこう発見の歴史に沿って教えられているんだなあと感じました。

これを教えられる先生っていうのを養成していくのは、これからを考えるとけっこう大切なんではないでしょうか?
全国学力調査のテスト対策をしているよりは……。

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本当にわかりやすいすごく大切なことが書いてあるごく初歩の統計の本

仕事で必要になったから泥縄で読んでいる統計学の本パート3です。

というか、この作者の吉田先生って、わたしが大学時代にお世話になった先生です。
その頃は、わたしが入っていた大学のゼミの先生の助手をされていました。

教育学と心理学の先生だと思っていたのに、なぜ統計の本なんて……と思いましたが、よく考えれば、心理学ってそういえば統計の塊みたいな学問でした。でないと、科学的な研究をしているのか、エッセイを書いているのかわかんなくなりますからね。

まあ、実は教育学もそうで、今、全国学力調査の話なんかして、マスコミなんかは都道府県の順位を出して、なにか伝えたつもりになって喜んでますが、実は大切なのは、そこから何が読み取れるかということだと思います。
それも、「あぁ、何県何位だったとか」そういうことではなくて、「このでている差というのは、本当に差として考えていいのか?それとも誤差なのか?」という部分から考えていかないといけないのだと思います。
本当は、そういう単純なデータではなくて、分析された結果こそを伝えていかなければならないのだし、その時に、ミスリードしないことを考えなければならないのだけど……。
もちろん元のデータについては、分析結果に疑問をもったときのために、アクセスできなければならないと思いますが。

というか、多分、このテストが当該学年の悉皆調査の時点で、まぁ、いい加減な人間がデザインしているということがわかりますけどねぇ。

わたしたちは、普段、ものすごく単純にしか物事を捉えることができない。けっこう、いろいろなところで、錯覚を起こします。
たとえば、「朝食を食べている家庭の子は成績がいい」とか聞くと、「じゃあ、子どもに朝食を食べさせなければ!!」とか、単純に思いがち。
もちろん、朝食を食べることは大切だけど、じゃあ、「朝食を食べれば成績があがる」かというと、そんなことはない。多分、もっと上に両方に影響があるような要因があるはず。
その捉え方をいろいろな面から拡張してくれるのが、統計なのかなぁと思います。
でも、錯覚をおこさせるのも、統計だという、ものすごい諸刃の剣だ。

で、この本ですが、そういう諸刃な部分にたいする記述が、けっこうおもしろく書いてあります。
コレを読んで、やっと前2冊の本に書かれている内容がわかってきた気がします。
まあ、まだ難しい部分もあるのですが、読み物としておもしろい本になっています。

お酒の話を聞くと、吉田先生の顔を思い出します。

最後の練習問題とその後のお話とか、いいわぁ。

これと「心理学のためのデータ解析テクニカルブック」とあと2、3冊で、何とかなりそうです。

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風立ちぬ・美しい村

えーと、映画の「風立ちぬ」見てきました。
見た、最初の感想は、

「なんじゃこりゃ?」

でした。

その日書いた感想のメモは、こんなことが書いてあります。

「宮崎 駿の自分の人生、全肯定物語?なっとくいかん」

「なにかを作るこということはあきらかに呪い。何もかもなげだしてでも『作る』しか選択肢なし?」

「たとえば、菜穂子が途中で嫌になって、二郎をののしって退場しても、二郎の人生自体はかわらないんじゃ…」

「2人の姿を美しいとは思えるし、泣ける。1もしかして、それに違和感を感じている自分がイノセントではないのかもしるれない…」

「映画のパンフレットで、宮崎 駿がかいているように、これは二郎という個人の物語であって、菜穂子の物語であったり、2人の物語ではない」

「二郎は、周りがどうであれ、恋人がどうあれ、ただ自分の夢を追い続けていく。ひでえ。そして、そうやってつくったものが、人にとって善だろうが悪だろうが、ひたすら、思いついたままに邁進する」

「そして、そんなやつばからなら、いつかこの世界は核で廃墟になる」

「子どもにおかし。偽善の否定。矛盾した存在。やらずにおけない?」

「妄想、妄執と、美しい夢は、どこが違う?」

「善でも悪でもないことを賛美してもいいのか?でも、それは非難されるべきことか?」

「夢を追う人とアル中はどうちがう?死ぬまで自分中心にやっていくだけだろう?」

われながら、大混乱ですな。

映画としてのエンターテインメントな楽しさはないです。

その証拠に、小学生低学年ぐらいの女の子が、映画の途中で退場していました。すくなくとも、子ども向けの映画ではない。
でも、なにか心に残る映画だ。
そして、ものすごくいろいろなところが、引っかかる感じがする。

それは、あんまりにも二郎にとって都合のいい菜穂子の存在。

考えて出てきた感想は、「要するに、天才はなにをしても、周りを巻き込んでメチャクチャなことをしても許されると?そう、天才・宮崎 駿は、いっていると?」そういう反発。

でも、その反発の中にも、なんかモヤモヤしたものが残っている。反発しながらも、なんか、それだけではないものがある。
なんだろう?映画の中の二郎は、本当に穏やかな人なんだけれど、メチャクチャ自分勝手な人でもある。自分のやりたいことしか見えていない。

初めて会ったときから好きでした的なことは、あきらかに口からでまかせだし、その後、菜穂子の命をすり減らしたこともそうだし、本当に、あの後、1回も菜穂子のお見舞いなんて行っていないんだろうなぁと思います。
そして、それは多分、宮崎 駿なら、もっと上手にいい人ぽく誤魔化せたはず。

なんで、そうしなかったんだろう?
多分、わざとだ。

他の人がどう見たのか、人の感想がこんなに気になった映画ってあんまりない。
そして、多分、この気分というのも、わざとそうなるように作ってある気がしたのです。

で、いろいろなブログの感想を見たりしていたのですが、小説を書いていたり、アニメをつくっていたりと、ものをつくっている人は、大絶賛していることが多いですね。
絶賛でなくて、俺にはあんな生き方はできない。でも、あれが理想なんだという人もいた。
何か、必死になって産みだしていく人にとっては、確かに理想的なお話なのかも。

そう考えると、自分がなんだか、嫌な気分になったのは、そういうものを作る仕事をしていないことに対するコンプレックスもあったのかもしれない。
でも、ものづくりのすごさだけをかくのなら、菜穂子、要らないよね。
多分、あの自主勉強会の若い活気だけでも、プロジェクトX的な感動的な映画はできたと思う。

なんで、菜穂子がでてきて、なんで、菜穂子にあんなひどい仕打ちをしなければならないのか。しかも、二郎自身は、ちょっとは感じているかもしれないけれど、それでも、映画を見たぼくらほどには罪の意識を感じていない。

はじめみたときは、この二郎という天才(宮崎 駿という天才)を、全肯定してほしいのか?
お前は、それ以外の生き方を否定するのか??

みたいな感じで反発したのですが、多分、これ、そうではない。

これは、ひどいやつだけれど、こうとしか生きられないそういう姿を書いた物語なのではないか?
そう思ったとき、フッと腑に落ちるものがありました。

そう、ここで二郎は、否定も肯定も実はされていない。ただ、そうとしか生きられない存在としてかかれている。
多分、ぼくらが、天才として生きられないのと同じように、二郎は、仕事には熱心に、でも女の子に対してはとても気になりながらいい加減にしか接することができない。
彼が肯定も否定もされなければ、ぼくらだって否定も肯定もされていない。

彼は、正直に生きた。それは、多分、そうとしか生きられなかっただけ。そういうことなんだと思います。

そう気づいてみると、もう1回見たとき、いろんな枷が外れて見ることができるかもしれない。もう1回見てみたいです。映画館じゃなくていいから。

もしかして、普通に感動できる人って、そういうグルグルまわらずに純粋なのかもしれないと思います。
まあでも、ぼくは、こうとしか生きられなくて、グルグルまわるんだろうなぁ。
そんな自分がいやになることもあるけれど、絶望しないならいいのかもしれません。

ということで、映画を見た後、堀 辰雄の「風立ちぬ」と「菜穂子」も読んでみようということで、ついでに、堀越 二郎の本も読んでみようということで購入。
まんまと、のせられていますね。

いや、「風立ちぬ」は、昔読んだことがあるはずなのですが、たしか、映画とはまったく逆の話だったよなぁと確かめたくなって。

そして、この本読んでみましたが、記憶通り、映画とはまったく逆の話でした。死ぬまで恋人のそばについてあげる話。
でも、これ読みながら、もし堀 辰雄が、映画「風立ちぬ」を見たら、怒るかな?とも考えてみた。
多分、怒らないのではないかなと思った。
それは、やっぱり、堀 辰雄が、なにかをつくる人だから。
まったく別の物語のなかに、なにかをつくるということの怖さというか、狂気みたいなものは、あるような気がする。

この解釈が正しいのかどうかわからないです。
かなり、映画「風立ちぬ」に引っ張られていることは確かです。

でも、そんな風にひっかかって、誰かに話したくなる映画というのは、多分、名作です。
本屋で堀 辰雄「風立ちぬ」がベストセラーに入っているんですよ。
多分、ここに堀越 二郎が出てくる映画の原作本だと思って購入している人は、少ないと思います。きっと、わたしと同じ様に映画を見て引っかかった人もいっぱいいたのかなぁとか思って、少し不思議な感じがします。

そんな人たちの感想もいっぱい聞きたい。そんな映画でした。

  1. 涙腺は緩い方です []

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MIX2

あぁ、ちょっと見えてきたのは、二階堂は、あのパターンで行くのですねということ。

そして、おぉ、ピッチャー西村は、あの西村くんの子どもかなにかですね。妻は、誰なんだろう?