When I'm 64,更新雑記あ・そ・ぼ,ゆうもあ,ゆうもあゲーム会・京都,ゲーム会,ボードゲーム

修羅場はぬけたのですが、実はけっこう忙しかったという……。
きのうも、帰ってきたのは、12時すぎでした。

うーむ。書きたいことは、たまる一方なのですが。

大きな買い物についての思うことも書きたいのですが、なかなかに、時間がとれないなぁ。
まあ、「あ・そ・ぼ」のボードゲームと本というテーマからははずれるのですが((いや、ボードゲームと本のための大きな買い物なので、それほどテーマからはずれないか……))、なかなかおもしろいエピソードがあるんですけどねぇ。

書くことか、たまる一方です。

あぁ、「ゆうもあゲーム会・京都」の方の参加報告が書けていない。
これから、書き足しておこう。コソコソ。

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マウアー

これは、『ゆうもあゲーム会・大阪』で1回遊んだことがあって、その時に惚れ込んで速攻で、購入したゲームです。
でも、その後、遊ぶ機会がなくて半年以上ほっておかれました。

ちょうど、この2月の「おてばん」の後に、知り合いが、ゲームしたことない人たちを巻き込んで遊びたいなぁ1ということで、初心者にでも楽しいゲームを探していました。

で、わたしが推薦したのが、この「マウアー」でした。

あとは、「ゲシェンク」、「ブロックス」、「ごきぶりポーカー」と、けっこう最近の定番が選ばれていたので、インストは、けっこう大丈夫。
でも、「マウアー」は、わたしのゲームということもあり、その知り合いも遊んだことがなく、わたしが遊んだのも半年以上前ということで、まあその彼氏お披露目ゲーム会までに、1回は遊んでおきたかったわけです。

ということで、この日の「おてばん」には、「マウアー」を持っていったのですが、なんと、会場に行ってみると、「マウアー」がちゃんとおいてあるではないですか(笑)
別に、リクエストとか、なんにもした覚えがないのに。

……白紙さん(のだったと思います)、すごい……。エスパーだ。

というわけで、「マウアー」、ちゃんと遊んできました。
おかげさまで、後のゲーム会のときにも、いちようちゃんとルール説明ができました。

「マウアー」は、バッティングのゲームです。
親になった人は、自分の考えを人に読まれてはいけません。
失点の高くなる色つきの建物をどうやって処理していくかが、勝負の分かれ目です。

そして、わたしは……。

「わかりやすすぎ……」

と言われるぐらい、わたしが親の時は、白紙さんに読まれまくっていました。
そういえば、「ババンク」のときも、読まれまくっていたような……。
顔には出ないはずなのに……。

そうか、「マウアー」をやりたいと思った時点から、バッティングしていたのか。
ゲーム始まる前から、ずっと読まれ続けて……。

それは、次のゲームでも続くという。

  1. 友だちに彼氏お披露目ゲーム会(笑)という名目だったと思います。 []

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ナイアガラ

で、そのひっくりがえした箱とふたの上にボードを置くわけです。
そうすると、なんと、ボードが立体的になります(笑)

ボードの端は、箱とふたをならべたのよりも、ちょっと長い目につくってあります。つまり。ボードのこの端っこまで来てしまうと、ボードから滑り落ちてしまいます。
これがつまり、「ナイアガラの滝」なわけです。

さて、ボードには、川の流れに沿って、ちょっと溝がついてあります。
そこには、丸い透明なお皿を配置します。
このお皿は、ゲームの進行に応じて、下流に向かって動いていきます。
川は、下流で二股に分かれていて、その先が滝になっています。

つまり、この滝に落ちちゃわないように、上手にボートをあやつって、宝石をゲットしようというゲームなわけです。

で、各プレーヤーは、2つのボートを操作できるます。
それぞれ、プレーヤーは、移動のためのタイルを持っています。そのカードを1枚ずつ使っていって、使い切ったら、もう1度すべてのカードを持って使っていくというパターンは、「穴掘りモグラ」にちょっと似ています。
ただし、「穴掘りモグラ」は、タイルをランダムに選んでいましたが、「ナイアガラ」の場合は、自分の手に持っているタイルなら、なにを出すかは自分で決めることが出来ます。
そのあたりで、どのタイルを残すかというのは、けっこう重要な要素です。

移動タイルの中には、「雲」のタイルもあります。これを出すと天気を変えることが出来ます。
もちろん、天気が悪いと、川の流れははやくなり、天気がよいと穏やかになります。

このゲームの秀逸となのは、この川の流れの動き方です。
スタートプレーヤーから、全プレーヤーが1周して自分のボートを動かせば、川が動きます。
上流から、お皿を押し込むと、下流の滝でお皿が1つ落ちます。二股にわかれている川は、だいたい変わりばんこに水が流れる仕組みになっています。
そのときの川の流れるはやさなのですが、これが、プレーヤーが出したタイルによってかわってくるわけです。
基本的には、全員がその1周でオープンにしたタイルのなかで、1番小さい数字の数だけお皿が押し込まれて動いていきます。

つまり、みんなが大きな数字を出せば、一気に川が流れていってしまうし、誰か1人でも小さなタイルを出していれば、水の流れは、ゆっくれになるわけです。

このあたりの相手が何を出すかという読みと、相手がどのタイルをもっているかというカウンティングは、けっこう重要な気がします。
↑ そして、カウンティングをしないわたしは、全然勝てません。

さて、この日ですが、いきなりゲームがはじまってすぐぐらいに3艘のボートが滝に転落していました。
そのうち、1艘がわたしでしたが(笑)

えーと、最初、慎重に小さい数字で進めて、後半、川をさかのぼる時に大きなタイルを使おうとしていたら、全員、大きなタイルで、一気に川が流れたんですね。しかも、ものすごい悪天候だった気が……。

笑える展開でした。でも、わたしは、こういう傾向のゲームは、ちょっと苦手です。
宝石を1つか、2つぐらい集めた時点で、勝利条件を満たされた方がおられて、あっさりと何も出来ないままに負けてしまいました。

みためのわかいらしさとは裏腹に、けっこうシビアなマネージメント能力がいりそうなゲームです。

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Zoch
発売日 :

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ナイアガラ

ちょうどゲームがはじまるところだったみたいで、「ナイアガラ」に混ぜてもらいました。

「ナイアガラ」は、まだ、一般販売されていないゲームのはずで、今回のはメビウスの頒布会、通称メビウス便をされている主催者の方が持ってこられたゲームだったようです。

実は、わたしは、1回このゲームを遊んだことがあります。
去年のエッセンに行った人が直接購入されて持って帰ってこられて「ゆうもあゲーム会・京都」の勉強会で遊んだのでした。

えーと、ギミックがキレイで、おもしろい。そして、実はけっこう苦手なゲームです(笑)

箱をあけて目につくのが、レンズみたいな丸い透明なお皿。これは、何かという川の水をあらわしているんです。
あと、5色の宝石。けっこうキラキラしています。
第一印象で、ゆうもあの女性スタッフのハートをわしづかみしていました。

まずは、ゲームの準備です。
内容物を全部、箱から出して、その箱とふたをひっくりがえして並べます。

続く。

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Zoch
発売日 :

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けん玉

コマ

続き。

コマや、けん玉なんかは、最初全然できなくて、突然、できるようになる遊びだという話を金曜日に書いてました。

お手玉なんかも、これにあたります。

ボードゲームだと、「彦根カロム」なんかも、これに似た上達のしかたをします。

多分、「なわとび」とか、スポーツ系のことも、そんな感じで、きっと、そういった遊びは、たくさんあふれていたのだと思います。

そう、昔は。

子どもは、遊ぶ選択肢が少なかったということもあったのだと思いますが、そういった遊びを繰り返すことで、最初は、単調で下手でも、そのうちに必ず上手になって、おもしろくなっていくということを理解することが出来ました。

たとえば、すごく上手にコマをあやつる友だちがいて、それを見たときに、

「今は自分は下手だけども、ずっと続けていれば、あの高みに続いている」

と感じながら、継続することが出来たのだと思います。

最近の子どもたちのこらえ性がなくなってきたのは、こういった経験の薄さというのも、ねしかすると影響しているのかもしれません。

子ども自身もいそがくなって(?)、簡単に、楽しさをえられる遊びがどうしても、主流になりがちです。

もちろん、テレビゲームでも、アクションが中心のものは、自分自身の上達があります。
格闘ゲームなんかは、特に、そのあたりは強く出るでしょう。

また、「マリオ」みたいなアクションゲームや、シューティングゲームは、確実に、自分が上手になっていくのがわかります。

ただし、テレビゲームの上達の仕方は、昔の遊びの上達にくらべると、ものすごく段階的なんですね。
ある意味、自分の上達が簡単に見えやすい。((とか書くと、じゃあ、やってみろとか言われるわけですが。やりましたとも、「ストリートファイター」シリーズなんかは、手の皮がむけるほど))

テレビゲームなんかは、制作されている方が言っておられるように、最初の3分の食いつきがとても大切です。
だから、最初にプレーした3分間に、そっぽ向かれると、もう、遊んでもらえない。

格闘ゲームや、シューティングゲームは、多分、1番、昔の遊びに似ているんだと思います。
だから、ある意味、プレーヤーを選んじゃいます。
高みにあがるまでの下積みの期間がけっこう長い。

でも、アクションゲームなんかだと、「バランス」という言葉に表されているように、やっぱり、難易度が遊びやすいように遊びやすいようにつくられている気がします。

そして、それは、「おもしろい」んです。
多分、人の「おもしろさとはなにか?」という部分を研究されているが故に。

でも、本当に、その「おもしろさ」や、「おもしろさ」の連続は、人にとってプラスなのでしょうか?
なんとなく、違う気がする今日この頃です。

実は、何かを乗り越えるようにして出来る経験というのが、やっぱり人の成長には必要なのではないでしょうか?

「遊び」を一歩下のものとして見ているわけではなく、とても大切なものとしてとらえたとき。((ただし、知育なんてくだらないものではなくて))

と、最近、昔の遊びを遊びながら、現代っ子のわたしは、こんなことを考えています。