ウィンターズ・テイル 下
上巻読み終えてから、下巻読み終えるまで5年以上かかってるやん。
というのは、いつものツッコミではあるんだが。
10年前に1回読んだときよりも、あきらかに物語を読み取る力が落ちているのがめっちゃわかってしまう。なんていうか、時間がかかっているせいもあるのですが、ストーリーは追えているはずなのだが、なんか、それが意味するところを全然読み取れなくなっている自分に気づくのは悲しいです。
再読です。
前に読んだのは、2009年。10年もたっていないです。そして、おもしろかった印象が残っているからこその再読なのですが、
「えっ、こんな話だったっけ?」
大体、もしかしたら記憶というのは新しいものから腐っていってるのかもしれません
途中、映画も見た気がするのですが。登場人物なんか、もう、ピーター・レイクとベウヘァリーと、ベヴァリーのパパしか覚えてないです。そしてもしかすると、ベヴァリーのパパのイメージは映画で覚えているだけかも。
いきなり第1部で、2人ともがあんなことになって、えっ、この先なんてあったっけ?とか思いながら読みました。
今なら、何を読み返しても、何を見ても、新鮮な気持ちで読めるかも。
マジックリアリズムについては、ちょっと話を聞いたりして、昔よりは受け入れられるようになった気がします。それはただ、そういうものだと受け入れろということだと。
ピーター・レイクが復活したのには、ビックリしました。
そうか、そういう宗教的なお話だったのか……。
う~ん、わたしにとっては、ベヴァリーが出てこない時点で、魅力半減だったかも。
まあ、街の奇跡そのものが、彼女を表しているのはわかるのたでけど……。でも、やっぱり、生身の体にこだわってしまうなぁ。
「チャールズ・ディケンズの奇怪な登場人物、ガルシア・マルケスの魔術的リアリズムの手法、ジョン・アーウィングの悲喜劇性、トールキンの神話創造力」
なんて、紹介のされ方をしていますが、そのどれとも、とてもかけ離れた1つの才能だと思います。
でも、この才能は、若干、ムラがあるような気がします。
いや、わたしの方で、この才能を受け入れる下地が充分にないだけかも。
大人のファンタジーです。本当の意味で、「大人のための」というのは、実はあんまりないのかも。これは、多分、「本当の意味で大人のための」ものです。
大人でないと、理解不能。
こと恋愛に関するお話、運命の2人が出会ってからは、メチャクチャ面白いのです。でも、その前段が……辛い。この前段が、ものすごく大切で、出会ってから後の2人を方向付けていることもわかるのですが、それでも、辛いのです。
これは、ヒロインのベヴァリーが、輝いているだけに、余計に辛い気がします。
そして、お話は、いきなり未来にいくし。
なんか、面白そうになったところで、はぐらかされている感じがすごくします。