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夏のおわりのト短調

懐かしいなぁ。
多分、1番懐かしい大島 弓子です。

大島 弓子は、「綿の国星」から読み出したのですが、花とゆめコミックスでは、巻末に別の短編が入っていたりしました。その一緒に入っていた短編が、多分、この本の中の短編だと思います。
今調べてみると、

1巻「夏のおわりのト短調」
2巻「たそがれは逢魔の時間」
3巻「赤すいか黄すいか」
5巻「裏庭の柵をこえて」
6巻「あまのかぐやま」

となっていますねぇ。

しかも、確かな記憶ではないのですが、「夏のおわりのト短調」は、なぜか、「綿の国星」よりも先にコミックスに載っていた様な記憶があるのですが、違ったかな。1
それで、「綿の国星」のはずなのに、なぜ??となった記憶が。

大島 弓子、凄い好きと思ったのは、もちろん「綿の国星」なんですが、もう1つは2巻目の「たそがれは逢魔が時間」なのでした。

だから、「夏のおわりのト短調」は、全然、意識してなかったですねぇ。
今読むと、凄いですよねぇ。今でも、充分通用するドラマだ。というか、今の方が、もっと理解されやすい気がします。

「あまのかぐやま」の副担のカミングアウトとかは、本当に、時代が追いついてきたんだなぁと。わたしは多分、はじめて読んだときは、ただの女の子たちのからかいを避けるためのフェイクだと思っていたと思います。もしくは、まったく理解していなかったか。
なんていうか、例えば、「風と木の詩」や「変奏曲」みたいに、違う世界のことならば、そういうこともあるかもしれないと思っても、身近なところで、いろんな思いをしている人がいるとは想像できてなかったんだろうなぁと思います。

わかりにくさは、あんまり感じなかったです。

30年以上前の物語ですが、今読み返す意味が、ものすごくあると思います。

  1. 今、ねぇさんが調べてくれたところによると、もともと「夏のおわりのト短調」という題で花ゆめコミックスが出ていて、あとで「綿の国星」の人気が出たため「綿の国星」と改題されたそうです。 []

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大島弓子が選んだ大島弓子選集5

「赤すいか黄すいか」は、確か、「綿の国星」のコミックスに載っていて、それではじめて読んだんです。
その当時は、まったく、さっぱり、意味がわからなかったです。

まぁ、今だって、意味がわかるとはいえないんですけどね。ただ、何が起こって、どうしてそういう状態なのかは、わかるようになってきました。
そして、大島 弓子、なんちゅう話を書くんだと……。

それは、「ダリアの帯」を読んだときにも、思った。

ある意味、少年と少女には、断絶があります。
その断絶ばっかりをかいたような作品がならんでいます。

でも、断絶がありながら、物語的な救いは、お互いに手をさしのべたところにある。
その結論の脈絡のなさと、それでいて、圧倒的な説得力。

多分、それが、大島 弓子のなかの少女の視点なのだと思います。