妖怪談義 新訂
柳田 国男と南方 熊楠の論争。
ものすごーく、枝葉のところで論争はしているけど、実は言っていることは同じことではないのか?なんか、同じ現象の見方だけが違うというか、ただ単に言葉の定義の問題ではと思えてきて楽しい。
この手のお話って、放っておくとすぐに変化して、消えていってしまうので、時代、時代に定点観測する人が必要なんだなぁと思います。
「熱量と文字数」という、ボットキャストがあって、それのメインの人が、サンキュータツオ。
車の移動中に、ボットキャストをいろいろ聞いていて、その中の1つです。アニメのオタ話をするボットキャストで、あんまり知らないアニメの話が多いのですが、聞いているだけでけっこうおもしろいです。
なんというか、新作アニメは全部見るとかやっていて、その知識欲というかなんというは、わたしが考えているオタクの鏡だなぁと思います。そして、その知識が、けっこういろんな分野に広がっていて、おもしろい人なんですよ。有名かどうかは、あんまりわたしにはわからないのですが。
この本は、そのボットキャストを聞き始めた頃に、話に上がっていたような気がします。そして、その流れで買ったのだと思います。
自分で辞典を買って調べてみようまでとは、全然思わないのですが、いろんなエピソードや、知識はおもしろいです1。
まあでも、紙の辞典、本当に使わなくなったよなぁ。
今、インスピレーションがピピッと来て、荒俣 宏の「帝都物語」という題名は、この「遠野物語」からきているのではないかと気づきました。
違うかな?
「遠野物語」を読むのは、2回目です。
NHKで、「100分で名著」という番組があって、これが最近のお気に入りなんですが、それで取り上げられているのを見て、また読みたくなったのです。
言葉的には、若干読みにくいのですが、読むたびにいろいろ想像が膨らみます。
こういう話が伝わっていくシステムがどんどん失われていくのは、とても悲しいことだと思います。
でも、今のネットの広がりは、「お話」がテキストとして半永久的に残っていくので、もしかしたら、ぼくらは、新しい「遠野物語」的な世界を獲得していけるのかもとも思います。
拾遺集は、今回はじめて読みましたが、褌を盗む話とか、今のマンガにもありそうなホラっぽい話が楽しかったです。
「Comic新現実」に連載されていたみなもと 太郎と大塚 英志の対談です。
これ、好きだったのですが、まとめて読むと、また楽しいです。
うーん、もっと、みなもと太郎のウンチク話を読みたいものです。
なにか、新しい表現が出てきて、それが広がるときに必要なのは、真似ができるかもしれないという下手さだという考察は、納得です。
こういう論理的な考察ができる人って、なかなかいないですよねぇ。
いや、実はそれが正しいかどうかではなくて、そういう言葉に感心したいだけというところもあるんですけどね。
でも、ウンチクを聞く楽しみって、そういうものです。