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裏庭

「西の魔女が死んだ」も、この「裏庭」も、メチャクチャ、題名がいいですよねぇ。
気になっていた本なのです。

ということで、今回、読んでみました。
期待していたのと、ちょっと違う、微妙な味でした。

「丘の麓のバーンズ屋敷に何か秘密があることは、当時その辺りの子どもなら誰でも知っていた。」

この始まりの一文は、けっこう強烈に惹きつけられます。

そして、見捨てられたと感じている少女の紹介、それから、おじいさんとの出会い、おじいさんの語るバーンズ屋敷の不思議。

はっきりいって、すごいと思いました。
一気に、物語の世界に引き込まれた感じです。
これは、傑作だ!!!

ところが、照美が、向こう側の世界に行ってしまったぐらいから、ちょっと違和感のある展開に。
なんだろう、向こう側の世界が、ちっとも、しっくり来ないのです。

現実の世界と、向こう側の世界の物語は、平行して語られていきます。

現実の世界の物語を読んでいる時は、メチャクチャおもしろいし、大好きだと思って読んでいるのですが、異世界のテルミィの冒険の話になると、サッパリおもしろくなくて、パッタリと先に進まなくなってしまうのです。

なんだ、このギャップは???

わたしは、けっこう物語の好き嫌いというのがハッキリしていて、好きな物語を書く人の物語ならば、たいがい好きなことが多いのです。

でも、1つの本の中に、「メチャクチャ好き」と「ナンジコリャ?」が同居している本というのは、けっこう珍しい存在です。

つらつらと考えみるに、あまりにも、向こう側の世界が、インナースペースすぎるのかもしれません。
心理学的な学説で組み立ててみた世界みたいな感じで、生きている感じがしないのです。
いろんな寓話というのは、多分、無意識の領域からきていて、ドロドロと見えない部分がいっぱいあるはずなのに、妙に理路整然とならんでいるみたいな感じです。

現実の世界から、向こう側の世界を語っている時は、メチャクチャ魅力的に見えるのに、実際にいってみると、なんか、ヘンなんですよ。
それはけっして、向こう側の世界が、崩壊しかかっているためだけではなく、多分、全盛期の世界を描写されても、ヘンな感じがするだろうなぁという違和感です。

で、ラスト、照美が、現実に帰ってくると、ものすごい輝きを物語が放ちます。
自分をうけいれる物語。これは、ただ単なる「めでたしめでたし」で終わる物語のはずもなく……。
でも、ある意味、大人にも子どもにも、救いをもって。

通過儀礼の物語だったのだと思います。
ただ、あまりにも、その物語の構造を意識しすぎて、それが、向こう側の世界でストレートに出すぎてしまって、鼻についたのかも。

エピローグは、けっこう好きなんですけどねぇ。

第1回児童文学ファンタジー大賞。
児童というのは、小学生のことですよねぇ。
えーと、はっきりいって、これ、児童に理解しろというのは、かなり大人の身勝手というか、理想を子どもに押しつけているというか……。

大人が読んで、いろいろ考えるはいいんです。
でも、これを子どもに読ませて、「大人も苦しんでいるのを理解して」とは、言いたくないなぁ。

そのあたりの引っかかりはあります。
もうちょっと他の作品では、どう書いているのかみてみたいです。しばらくつきあっていこうと思っている作家です。