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藤子不二雄論 FとAの方程式

僕らよりも、ちょっと上の世代の藤子不二雄論。
僕らは、ドラえもんの連載あたりで生まれた世代なので、まさに、藤子不二雄全盛期だと思っているのですが、上の世代にとっては、ちょっと成熟しておとろえが見えてきた時期だという話は、世代によるギャップで、ビックリしました。

実感として、確かに、F氏とA氏に分かれたとき、わたしも、

「マンガによって、それぞれが完全にわかれてかいていたということを、なんで今までわからなかったんだろう」

と思ったこともあります。
自分の好みをみればF氏の作風であり、本棚を見れば藤子不二雄名義でも、F氏の本ばかりが並んでいました。

ごく普通にそこにあるものは、なかなか語られにくい。
そういう意味では、永井 豪や、松本 零士、花の24組以上に、いつもそこにあったのが藤子不二雄のマンガで、実は、いろんなことをそこから吸収しているのは、ふり返ればよくわかります。
そして、この二人がペアであったことの意味は、これを読むと少し見えてくるかもしれない。

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戦後ギャグマンガ史

最近、藤子・F・不二雄とかを読んでいて、また、松本 零士とかを読んでいて、疑問に思っていたことが、

「赤塚 不二雄とか、江口 寿史とか、ギャグマンガ家たちは、なんでつぶれていったのか?」

ということだったのです。

藤子・F・不二雄や、松本 零士は、永遠に同じことを繰り返していられるのに、どうして、赤塚 不二雄や、江口 寿史は、続けられなかったのか。

その疑問というか、前者と後者の間にある溝がなんなのかが、この本を読むことで、ちょっとだけ、わかった気がしました。

ものすごくとんがったところを目指すと、どんどんとんがり続けてしまうというおそろしい罠があるようです。

でも、笑いって難しいですね。
最後の笑いの考察も、今まで自分が考えたこともなかったようなことでした。

そうして、笑いについて考えているものの顔は、笑っていないという……。

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戦後SFマンガ史

名著「戦後少女マンガ史」の姉妹編。
でも、こっちの方が著者の思い入れは強くて、資料としては若干暴走しています(笑)

まあ、その方が、読んでいる方はおもしろいです。
いや、そこ断定していいのかと思ったりしますが。

わたしも、いろいろ名作を後から読んでいますが、時代の空気みたいなものは、わからないものです。だから、こういう本は、とっても貴重です。