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ロリータ℃の素敵な冒険

「マダラ」。いろいろな展開が予定されていたみたいなのに、「僕は天使の羽根を踏まない」で、「もうすでに終わってしまったマダラ」がかかれて、どうやら、他の物語はかかれなくなってしまいそうです。

それと同じように、このお話も、「サイコ」の「終わったあとのサイコ」みたいな感じで、いつでも、終わってしまえる状態になったなぁというのが、この本の感想です。

あぁ、この本にはなんかたりないと思っていたら、笹山さんが出てこないんですね。
でも、笹山さんって、本質的に、犬彦と同じような役割の人間なんだなぁ。だから、2人でてくる必要はなかったのかも……。

あれ?サクって、マダラのスペアの1人だったっけ?だとしたら、℃は、正しく麒麟のスペアだったのかも。

そうすると、この物語自体も、「サイコ」ではなくて、「マダラ」の再話だったのかもしれない。

いろいろな「情報」が意味もなく、わたしのまわりを浮遊して……その情報を再構築して、物語を作っていく。
それが、大塚英志の本当に意図したところなのかも…。

大塚英志,読書僕は天使の羽根を踏まない,卒業、最後のセーラー服,大塚 英志,徳間書店,懐かしい年への手紙,摩陀羅,白倉 由美

僕は天使の羽根を踏まない

「転生編」があって、その後、エピローグとして「天使編」があって、完結するのだと思っていましたが……。
この「転生編」の完結で、多分、摩陀羅は、完結してしまうのでしょうね。

物語による物語の否定。
でも、その否定すらも、物語にしか過ぎないとすれば、ぼくらは、なにをよりどころにすればよいのでしょうか?

このスニーカーの足の裏の広さほどの現実の中に生きていく少年、少女。
でも、そのスニーカーの下の世界は、現実と呼んでいいのかな?

かつて、白倉 由美が、「卒業、最後のセーラー服」のラストで、主人公たち2人に命の樹を植えさせるラストを描きました。
そして、その予定調和的なラストに、激しく混乱したそうです。
その完全版(?)である「懐かしい年への手紙」では、そんな場所はなかったんだと、男の子の死という現実を描いて見せました。

大塚英志は、そのとき、その場所が「どこにもない」と気付いた白倉 由美に比べると、かなり甘い、やさしい作家なのだなぁと思います。

わたしは、3巻まで出された「天使編」がすごく好きだったので、あの続編を読んでみたい気がするのですが、多分、大塚 英志の中では、摩陀羅は本当にこれでおわってしまったんだろうなと思うと、残念です。