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フランバーズ屋敷の人びと1 愛の旅だち

実は、これ小学生時代に読んだ本なんですよねぇ。従姉のところからおさがりでもらってきた本のなかにあった1冊です。従姉は、多分、読書感想文コンクールの1冊だったので購入したものだと思います。例の感想文コンクールのシールが貼ってあった記憶があります。

その当時は、「キャンデー・キャンデー」なんかがはやっていて、わたしの心の中のノリでは、そんな感じで読んでました。多分、時代とかは、同じぐらいじゃないかと思うんですよねぇ。飛行機の黎明期。

あと、自分の中で「愛」のブームみたいなのがあって、「愛の一家」とか、そんな、題名に「愛」がついた本を集中して読んでいた頃だった気がします(笑)なかなか笑える小学生だ。うーん、多分、「すくらっぷ・ブック」とか読んでいたころですね。
これも、読んだ当時のハードカバーの本の題名は、「愛の旅だち」でしたから。「フランバーズ屋敷の人びと」の方が、副題でした。
多分、「フランバーズ屋敷の人びと」に(1)という数字がついていて、続編があるのは知っていたけれど、その当時は、自分で本を探すなんてことはまだ想像もしていなかったのです。
本は、兄や、従姉たちからお古をもらうものか、親に買ってもらう者だと思っていました。
まあ、ハードカバーの本なんて、その当時のこずかいでは、手に届くものではないですからねぇ

続きを見つけるのは、それから、中学校ぐらいになってから。図書館でみつけた岩波少年文庫に、このシリーズがあることを知って、多分、3巻までイッキ読みした記憶があります。
その時も、1巻から読み直していた記憶があるから、今回読むのは、きっと3回目です。
で、めちゃくちゃ、おもしろかったんですねぇ。で、3巻目に、「まだ続きがある」とか書かれていて、気になっていて、そのまま大人になってしまったという……。

大人になってからも、しばらく探したりしていたのですが、岩波少年文庫では、絶版になっていたようで見つからなかったのです。
まあ、けっこう探していたのですが、ないなぁとあきらめかけていたのは、10年ぐらい前。

それから、復刊ドットコムにお願いしたのが、今たしかめたら、5年ほど前でした。

で、2008年に荻原 規子のファンタジーのDNAを読んで、また、これ再読したい熱があがってきて、本屋さんで、岩波少年文庫の前をうろつくようになりました。
小学生時代からかぞえて30年ぐらい。このしつこさに自分でもあきれますが、それだけ魅力的な本なんですよ。
まあ、ずっと探していたわけではなくて、ときどき思い出したてというのが、正直なところですが。

そして、これが、これが、この前、タイムリーにも再版されて、復刊ドットコムから通知が来て、さっそく買ってきました。
まあ、読み出すまでに、けっこう時間がかかっていますが。

大人になってから読んでみた感想なのですが、メチャクチャおもしろいです。子ども時代のフィルターがかかっているだろうなぁと思っていたので、そこまで期待していなかったのですが、期待以上でした。
あぁ、自分の感性は、小学生時代も、間違っていなかったんだなぁと感動しました。人から見たら大間違いでも、自分としては一貫しているなぁと。
まあでもそれは、実は、感性が間違っていないのではなくて、こういう本によって、自分の感性が形作られたというのが正確なのかもしれません。

「すくらっぷ・ブック」とか、「ドラえもん」を再読して、基本的な自分の考え方って、ここからきているなぁと思うのと同じぐらい、自分がこの小説に影響うけている、自分の骨肉になっているがわかります。

今回、読んでみてものすごく強く感じたのが、どの登場人物も、大好きだということ。

乱暴者のラッセル含めて、大好きなシーンがあって、けっこうそれを覚えています。

マークなら、「ぼくはここにあるすべてのもののために戦うぞ」というところ。

ラッセルなら狩猟開始の日、みんなを見送っている姿(これは、実はわたしは、自分で勝手に後から想像したシーンだと思っていました。でも、ちゃんとあってビックリした)。

クリスチナなら、最初は抵抗があった狩猟に、出かけたとたんに魅入られていくところ。

ウィルが、ウッドピジョンを、「まだこわい」と言うところ。

たくさんの情景。登場人物たちの心の動き。

ウィルの強情なところは、多分、ラッセルの血も色濃くひいている。主人公クリスチナも、魅力的だけれども、欠点がないわけではけっしてない。
なんていうか、そういう、人っていうのは、単純なものではなくて、いろいろな角度から見ていくものなんだよということを、ものすごくこの小説に教えられたような気がします。
人だけではなくて、社会の構造も、矛盾を抱えながらも、美しいもの、守るべきものはあるのだということも。
現実の厳しさも、そして、その楽しさも。

これ読んだ時って、「かけおち」の意味がわからなくて、そういえば、親に意味を聞いて、「なにでそんな言葉を知ったの?」みたいに追求された記憶があります。そういう意味でも、自分にとっては、大人の階段だったみたいです。

1巻を小学生時代に読んで、2巻目を中学に入ってから読んだというのは、自分にとってはラッキーな読み方だったんだなぁとも思います。
2巻目では、主人公たちは、新婚生活。まあ、小学生の入る隙間のある世界じゃなさそうですから。

単純にとらえると、とらえ間違えをする。例えば、これは反戦ものではないんです。その時代の人の見方というのもあるし、その限界を超えていくという部分もあります。

ふたつの世界の狭間みたいなお話がすきなんですが、あんがいその好みも、この本とか、その頃すきだったヘッセとかが作っていったのかもしれません。

あぁ、いい読書をした。

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ファンタジーのDNA

Webで連載していた荻原 規子の「もうひとつの空の飛び方」が大好きでした。
これは、 その連載を元にした本です。ブックガイドみたいな感じになるのかな。

エッセイで、わけのわからないところでグッときて泣いてしまう経験は、馬場 あき子の「鬼の研究」以来かも。

若干、

「才能あるあの人の作法って、わたしと同じ!きゃあ!」

みたいなミーハー的なところは、気になるといえば気になりますが。

といいつつ、わたしも、このエッセイを読んで、

「おぉ、わたしと同じようなことを……」

とか思っていたので、まぁ、ファン心理というのはそういうものということで。

学校をあんまり信用していないのだけど、図書室があって、自分以外には読まれないかもしれないと思えるような本がひっそりと眠っていて、人から犯されない空間があるということは、とても大切なことのような気がします。
だから、本に対して目が利く人(いい本をただそろえるだけでいい)がいる学校図書館というのは、そうすてた物でもないと思います。

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ネシャン・サーガ3イェーヴォーの呪い

かなり前に、読み終えているはずですが、感想書かずにそのまま本棚に片付いていました。
すっかり、書いた気でいたのですが……。

なんか、ネシャンや、梨木 香歩の「裏庭」を読んだときのしっくりいかない感じ、なんなんだろうとずっと思っていたのですが、最近、荻原 規子の「ファンタジーのDNA」を読んでいて、「思考タイプ」、「感覚タイプ」という話があって、それを読んでなんか納得したような気がしました。

わたしは、おそらく「感覚」の人間です。

そして、エンデに見いだされたこの才能は、強いストーリー性をもちながらも、「思考タイプ」のファンタジーなんだと思います。

「ソフィーの世界」は、それなりには楽しめと思うのですが、今、たしかめたら、本もう手元に残っていませんでした。
なんて、素直なんだ(笑)

ストーリーには興味があるので、読み出すと追いかけることができるのですが、どうしても、自分の中に残っていく物がない気がします。

ということで、他に読むものはいっぱいあるし、一区切りということで、ネシャン・サーガは、いったんここまでかなぁ……。

ネシャン・サーガ(3)イェーヴォーの呪い

ラルフ・イーザウ