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どしゃぶりのひに シリーズ あらしのよるに 4

昔読んだ紫堂恭子さんのインタビューに、

「ファンタジーを書くのは、主題をストレートに表現できるから」

というような発言がありました。

この物語……というか、童話、絵本も、もしかするとそうなのかもしれないと、「どしゃぶりのひに」を読みながら、ちょっと思いました。

自分の信じている、自分の知っている彼。
それから、今までの友だちが知っている、世間の人が言っている彼。

どちらが、真実の彼なのでしょうか?
友だちは、とても親切です。いつも、わたしのことを考えてくれていっています。

「お前は、人がいいから」
「だまされてるんだよ」

わたしの目が、本当に曇っているかどうかなんてことは、多分、だれにもわからないのだと思います。
わたしだって、友だちが、同じようなつきあいをしていたら、きっと、「その人のために」と思って止めると思います。

それとも、痛い目を見るまでは、ほっておくしかないのでしょうか?
で、痛い目を見てから、助けの手を出した方がいいのでしょうか?

友だちが、不幸になることを予想しているのに、それを放置しておくことに、わたしは、たえられるのでしょうか?
友だちは、そうなるまで放っておいたわたしのことを、また「友だち」と呼んでくれるのでしょう?

もちろん、すべては、取り越し苦労かもしれないし、いつか、そんな心配もしたんだよと、笑って話せたら、それに越したことはないんだけど……。

そんなことをぐだぐだと考えてるわたしを飛び越えて、ガブとメイは、とっても透き通った姿に見えます。

ふたりは……