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うつくしい子ども

操り人形に殺されたからといって、そのその痛みや悲しみが減じるわけではない。
操り人形の操り手の背中には、やっぱり人形と同じ操り糸がついていて、永遠に合わせ鏡のようにそれが続いているとすれば、結局、罪は、「社会」とかそういった巨大なものにしか向けることができなくなる。

でも、操り人形の側でも、被害者側でもないこの視点は、とても、新鮮でした。

その立場に、主人公は、否応なしに立たされてしまうのだけど、わたしたちや、マスコミからすると、どうしてもその部分は、見えなくなってしまうから。

見えないものは、ないから見えないわけではなく、見ようとしないから、見えないのだと思った。