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三体3 死神永生 下

第3部で完結。
56億7000万年を超えて

今まで読んだ中で1番スケールが大きいSFって、おそらく光瀬 龍の「百億の昼と千億の夜」だと思います。
まあ、アシモフの短編で、「光あれ」って宇宙創造しちゃうのもあったから、記憶にないだけで実は他にもあったかもしれないれど。

まあ、56億7000万年というのは、まあ、かなりのスケール。
今回、「三体」は、その記憶に残っている「百億の昼と千億の夜」のスケールを超えていった感じがありますねぇ。

それも、ほぼ主人公の個人の体験で。その大半が、選択の失敗の連続であったといいきってしまう鬼みたいなところはありましたが。

スケール感が、もう、バグっておかしくなるぐらいな感じで、なんというかSFらしい。
いや、小説としてのできはあきらかに第1部だし、エンターテイメントとしては第2部が圧倒的におもしろかったと思います。
でも、第3部は、圧倒的にSFとしてやりきった感があります。

いや、けっこう上巻は、それでも文学だったような気も。下巻はまあ、ゴチャゴチャしてるといえばそうなんですが、凄い、ここまでやるのという感じが強かったです。

「三体」、おもしろかった!!

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地球へ…1 カラーイラスト完全版デジタルエディション

多分、わたしが少女マンガを読み出すきっかけになったマンガ家さんが何人かいて、確実に、竹宮 惠子は、そのうちの1人です。
けっこう、ハッキリしない記憶ではあるのですが。

ものすごいマンガ好きの従姉がいて、その従姉のところで「地球へ…」は、はじめて読んだんです。マンガ少年の別冊になっていたものだと思います。その頃のわたしは、わりとマンガならなんでもよかった。で、少女マンガだと思わずに、多分、アニメの「宇宙戦艦ヤマト」と同じぐらいの感覚で、少年マンガ、少女マンガ関係なしに読んでいたと思います。まあ、掲載されていた雑誌自体も、ものすごく不思議な雑誌でしたからねぇ。
「火の鳥」とか、「アタゴオル物語」とかのっていた記憶が……。

それから、同じ従姉の家で、多分、和田 慎二「明日香ララバイ」かなんかのマンガを読んで、メチャクチャおもしろいなぁと思ったんです。これが、意識して読んだ少女マンガの最初の1冊。そして、それが、「花とゆめコミックス」で、なぜか、「あいつ」という題だと間違えって覚えていて、後日、成田 美名子の「あいつ」に出会って、これ俺が思っていたのと違えけど、メッチャおもしろいということで、「エイリアン通り」とかに繋がっていくわけです。

多分、それが小4位のときですねぇ。

それから、「アンドロメダ・ストーリーズ」が始まって、原作は「百億の昼と千億の夜」らしいと聞いて、大津駅の2階にあった本屋さんで、昔の秋田書店のマンガ文庫で萩尾 望都の「百億の昼と千億の夜」を読んで、萩尾 望都にもすすみ。

少女マンガとしての竹宮 惠子は、多分、花とゆめコミックスの「夏への扉」が、最初の1冊だったはずです。
思春期だしね。背伸びしたい頃でもあったので、ハマったというのもあったかも。「ホットミルクはいかが?」というとてもわかりやすい物語があって、それと、「地球へ…」の面白さへの信頼が、他の作品への抵抗感をものすごく低くしてくれたということがあると思います。

ということで、「地球へ…」。
振り返ってみたら、真面目なSFマンガというのを読んだの自体が、これが1作目だったのかも。

ということで、カラーで読めるんなら、買ってしまうんですよ。

今読んでみると、けっこう勢いだけでかいているところもあるなぁと思います。ジョニーの成人検査を見ていた子どものミュウって、どうやって生まれたのとか?
でも、そんな細かいことは関係なく、名作なのです。

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ロン先生の虫眼鏡1

これ、子どもの時、読んでました。
多分、知っているのは、月刊チャンピオン時代だと思います。

そのころは、光瀬 龍も、知らなかったです。
光瀬 龍との出会いは、多分、小学生の時に従姉の家で読んだ竹宮 惠子のマンガ「アンドロメダストーリーズ」で、多分、その後、中学生の時に萩尾 望都の「百億の昼と千億の夜」を読んで、それから、原作の「百億の昼と千億の夜」を読むという感じです。

「ロン先生の虫眼鏡」の原作が、光瀬 龍だとしったのは、徳間文庫の文庫目録を読んでいて、同名の本の紹介が光瀬 龍のところにあったからでした。それでも、最初は、宇宙の光瀬 龍とこの動物マンガが結びつかなかったのでした。

でも、その目録の作者紹介のところに写真があって、その写真を見た瞬間に、

「あぁ、ロン先生って、光瀬 龍自身のことだったのかぁ!!」

「龍=ロン」というのが理解されて、ビックリした思い出があります。
光瀬 龍の顔、コレ、本当にそっくりです。

こういうマンガで、いろんな知識を手に入れていた子供時代でした。
こういうマンガを読み直す時、今のわたしが、本当に「マンガ」とか「物語」で作られているんだなぁとつくづく思います。

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イティハーサ7

文庫版「イティハーサ」最終巻です。

黄実花という存在は、お話のなかのアクセントぐらいに思っていたのですが、どうやら、そうではない様です。

那智も、アオヒコも、確かに、黄実花の話をすごく重要視しているんですね。

今回、気がついたのですが、アオヒコと桂のラストシーン。あのとき、セリフに書かれていない言葉。
あのときに、なんて言うべきなのかを教えているのが、黄実花なんです。

そういえば、アオヒコにしろ、一狼太にしろ、トオコにしろ、鷹野にしろ、「救い」を求めているキャラクターのなかで、黄実花は、あんまりその部分に必要を感じていないんですよね。(まあ、キョウジも、あんまり救いの必要を感じていないかも…)
そういう意味では、とても自然体で、ニュートラルなキャラクターとして、設定されているのかもしれません。
そういえば、亜神、威神(そして、目に見えぬ神々)の間で揺れ動くキャラクターたちのなかで、黄実花のみが、どの神にも属していないのでは?

「この物語は、ファンタジーではなくて、SFとして完結しなければならない」

みたいなことを確か水樹和佳子がインタビューで言っていたのを見た気がします。
そのときは、そのSFの意味、こだわりがわからなかったのですが、人の心の動きという物語のなかに、もう1つ、大きな物語があるんだよという意味だったのかなぁ…というか、これは、水樹版「百億の昼と千億の夜」だとい宣言だったのかなぁと思います。

うーむ。
1つの物語が終わった。感慨深いものがありますね。

ところで、わたしの持っている本ですが、初版で、誤植があります。
それも、1番最初の口絵のページに(笑)

「第4部 目に見え神々」

………。
見えるんかい!!

新しい版は、修正されているようでした。

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イティハーサ6

昔、読んだときは、単純な物語しか理解していなくて、鷹野の桂に対する思いとかは、全然理解していなかったなぁと思います。
弟ではなくて、並んで立つ者になりたかったんだとやっと気づきました。
そして、その想いの元は、ずっと前に見た桂の後ろ姿からきていて、本当に、シーンに1つも無駄がないマンガだったのだと思い知らされます。

そういえば、なんで、こんなに執着しあいながら、最後に結ばれるのが、鷹野とトウコではなくて、ヤチオウとトウコであったりするのかがとかいうのは、やっぱり、ずっと理解できなくて、理解できなかった故に、ずっと、心の中にトゲとして刺さっていたのでした。

今回、読み返してみて、「イティハーサ」は、水樹版「百億の昼と千億の夜」なんだなぁと、そういう読み方をしてはじめて、スーッと理解が通ったところがたくさんあります。