先生と僕 夏目漱石を囲む人々 作家編
弟子と漱石みたいな感じです。
奥様が、めちゃくちゃおもしろくて、好きです。
これぐらいじゃなきゃ、つとまらないと思います。なんか、娘さんな感じがずっとある。
だいたい、本読むときって、内容を想像したり、期待しながら読みます。
例えばこの本だと、社会が情報化していって、どんな風に変わっていくのかが書かれた本だと期待するわけです。
で、読んでみたのですが、ちょっと難しかった。頭、悪いので、イマイチ理解してません。
しかも、「テクノロジーが変える未来」みたいな話を聞きたくて読んでみたら、真っ向からそれを否定した本でしたというオチ。
でも、今、アマゾンとか、確実に人の生活を変えてるよね。そのあたりはどうなのよ。と思ったら、そのあたりは、認めているみたいです。
問題にしているのは、その論の張り方の部分。
うーーん、大事だとは思うけど、今のわたしは、そこには興味ないかな。
ずっと、否定が続く本なので、テンションが落ちます。
若き日の萩尾 望都のエッセイ。
1980年代のエッセイなので、「ポーの一族」や「トーマの心臓」などの初期の代表作を発表し終わって、「メッシュ」とか、「銀の三角」、バレエのシリーズなんかをかいている時期みたいです。
バレエの話なんかも、けっこうあります。
この人、ものすごい論理的なのに、ときどき、論理的すぎて迷宮に入り込んでいくような感覚があって、おもしろいです。
その人とのちょっとした違い、微妙な違いが、作品を生み出していく力になるのだと思いました。
ヘンな人だ(ほめ言葉です)。
今から30年ほど前にかかれたエッセイです。でも、古くはないです。
最初は、メチャクチャ文体が気になったのですが、この自意識過剰でもてあましている感じというのは、好きかもしれない。
後半になって、文体が気にならなくなってきたのは、慣れてきたというよりも、普通の文体になったからかも。
でも、結局結論は出なくて、問題をポーンと投げかけて、モヤモヤっと終わる感じ。だから、「この話、この後どうなったん」とか思いますが、多分、現実と同じく、どうにもならずにそこに載ったままなのかもしれません。
でも、そういう切り口の巧さはあります。
裸の王様を、裸だといってしまえる勇気。そして、空気の読めなさ。
どっちも、愛しいかも。