子どもの活動を最大限に引き出す「向山型行事指導」 教え方のプロ・向山洋一全集37
こういうのは、実際に目で見てみないと結局イメージできないかも。
まあ、頭の中でイメージするだけでも、イメージしないよりはずっとましですが。
まず、大事なのは、これが出来る「本物」がいるということを信じることだな。
そして、それは、真似ができない物ではないと信じること。
そうすると、宗教のレベルになってくるけれど。ある意味、教育って、そんなもんか?
若干、それはいやだなぁと思う自分もいる。
こういうのは、実際に目で見てみないと結局イメージできないかも。
まあ、頭の中でイメージするだけでも、イメージしないよりはずっとましですが。
まず、大事なのは、これが出来る「本物」がいるということを信じることだな。
そして、それは、真似ができない物ではないと信じること。
そうすると、宗教のレベルになってくるけれど。ある意味、教育って、そんなもんか?
若干、それはいやだなぁと思う自分もいる。
詩って、難しい。
しかし、解釈を言葉からといいながら、別の場面では、けっこう飛躍した解釈を認めていたりして、子どもは混乱しないのか?
でも、屁理屈が言えるように育てるというのは、本当にその通りだと思います。
人に教えるというのは、大変なことで、1つのことを教えるためには、教えることの倍ぐらい深くそのことがわかっていなければなりません。
だから、なにかの専門家に教わるというのは、確かに正しい。
ただし、専門家は、教えることの専門家ではないので、そこに、教師が入り込む隙もあるのかも。
多分、こんなささやかなことっていうのは、当たり前なことなんです。
だから、こんな当たり前のことを、言われてやっていたらダメなんです。
でも、やらないよりは、言われてでも、やった方がましだし、やり続けていたら、それが、当たり前の「習慣」になってくるもんです。
当たり前のことを、当たり前にできる人は、人としてのレベルが高い。
まず、そのレベルまでいくのに、わたしは、30年ぐらいかかりそうです。
基本に忠実にというのは、教師に限らずどんな仕事でも大切なことだと思います。
わたしは、職人のように、どんな状況でも一定のレベルの仕事が出来ればいいなぁと思っています。今より、もうちょっと高いレベルで……。