日露戦争物語一覧

ノボさん、野ボールを語る

正岡子規 ちくま日本文学全集37

わたしの正岡 子規のイメージは、江川 達也の「日露戦争物語」の前半のノボさんのイメージです。

元気な頃のお話は、割と、そのイメージ通りかな。いや、病気になってからも、偉そうにしながら甘ったれなところなんかがかいま見えたりして、基本的には、楽しい人なんだろうなあと思いました。1

野球を楽しそうに語るところなんか、いいです。

いや、お前の説明、さっぱりわからんし!!

まあ、野球自体も、めちゃくちゃ画期的なありえないルールのスポーツなんだと思いますけどもね。

短歌、俳句の批評は、よく理解できないところもあるのですが、この人、めちゃくちゃ真面目で理屈っぽいです。
理屈で歌を詠んではいけない、感性で詠めということを、ひたすら理屈が通るように理屈で説明しようとしているみたいに感じました。

うーん、わたしは、短歌や、俳句はよくわからないのです。特に、俳句は、よくわからない。
でも、この人の俳句、そんなに感心できるものとは思えないんですけども……。

  1. まあ、書く文章とその人の実像がかさなるかというと、微妙なところがあるのですが []

文学ではなく、平井 和正では、ダメですか?

初心者のための「文学」

文学を政治という枠にはめて読み取ろうとする試みです。今、大塚 英志のなかでは、「政治」がはやりなのだと思います。
もうちょっと詳しく書くと、「右翼的なものの考え方の脱却」かな。

政治というものさしがしっかりしている分、評価はぶれない。
だから、紹介している文学をほとんどすべて、ぶった切っています(笑)認めているのは、安部 公房と大江 健三郎ぐらい。
それ以外は、三島 由起夫も、太宰 治も、井伏 鱒二も、全部、ぶった切られています。

えー、それなら、わざわざ「読め」って、紹介しなくてもいいじゃん(爆)安部 公房と大江 健三郎だけ読んでいたらいいじゃないか。

まあ、多分、大塚 英志が思ったのは、

「初心者が文学を読んだとき、文学に騙されない」1

ためのガイドなんだと思います。

まあ、物語の読み方はそれぞれなので、もちろん、こういう読み方も悪くないと思います。でも、それを「初心者」に「ガイド」するというところに、大塚 英志の悪意……というか、作為を感じます。

そういえば、わたしが大塚 英志の本で最初に読んだのが、「<まんが>の構造」でした。
これは、マンガを民俗学的という枠のなかで読み取ろうとする試みで、ものすごくスリリングで楽しく読んだ記憶があります。

多分この「<まんが>の構造」も、本書も、同じ仕組みをもつものなんだと思います。

でも、民俗学は、ある意味、物語を読み解くためのものなのですが、政治というのは、物語を読み解くために適当かどうかというと、ちょっと疑問です。

最終的に、江川 達也の「日露戦争物語」の様に、物語否定になったら、ちょっとイヤだと思いました。

でも、三島 由紀夫も、太宰 治も、大江 健三郎も、もう1回読んでみようかなという気になりました。
安部 公房だけは、なんとなく物語があんまりにも作為的すぎる気がして、避けたい気持ちですが。でも、ある意味、作者の強烈な作為がないかぎり、「物語らしさ」、「物語としての整合性」という枷は、「気持ちいい」方に、右翼的な方に、傾いてしまうのかもしれません。
でも、それは、思想的には正しくても、物語としておもしろいのか?

  1. 要するに、右翼的な結論に至らないという意味ですね。 []

人を信用しないことこそ、自立の道か?

日露戦争物語22

終わった。終わった。

みずから史料にあたって、その当時を想像できる賢い人(つまり江川 達也みたない?もしくは、江川 達也のみが?)のみが、歴史をきちんと認識することができる。

でも、それができる人間こそが、学者であるのではないかと思うのですがねぇ。
まあ、もちろん問題は、学者が、真の学者たりえていないところにあるのかもしれませんが。

今日の糧にならないそんな知識は、学者でなければ、やっぱりそれほど必要とは思えない。

だいたい史料というけれど、それを読み解くには、当時の自体への理解(言葉遣い一つをとっても)も必要です。
それがねつ造された物でないかどうかを確かめるすべも必要だとすれば、専門家(学者)を信じないのなら、それを確かめる例えば科学的な方法も、自分で勉強して、自分の手でしなければならないし、そこに至る理論の検証も、自分自身でしなければならなくなってきます。

その先にあるのは、人を自分以外信用しない永遠の孤独では?

今の江川 達也は、孤独なのか?

そういえば、アシスタントをすべて解雇したとも聞いた……。

心地よい物語は、嘘。

だから、わざわざこの物語を、心地よい物語にしなかったのだろう。まあ、全部計算済みだと。

このマンガがおもしろくなかったことに対する、まるで後出しじゃんけんのような結論なんでしょうか。

わたしは、物語の力を信じているので、物語の否定論には、与しない。