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ムカツクからだ

最初に結論があってから、適当にしゃべってるだろうとか、ちょっと思います。
でも、納得できることも多いし、ある意味、自分の信念と責任をもって仕事をしているのだと思います。

まぁ、尾崎 豊が、しっかりした人みたいなのは、本当に勝手な解釈だと思います。
あと、文学は、ヘルマン・ヘッセ読めとか思います。でも、多分、感傷的すぎてこの人にはあわないのかも。

おもしろいと思うんだけど、なんか、波長があわないなぁ……。

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自閉症だったわたしへ

題が、多分、ダメだと思います。
まるで、今、自閉症であることが治ったみたいに見える。でもこれは、そういう話ではないですよね。
まあ、原題の「NOBODY NOWHERE」1よりも、わかりやすいという判断なんだろうけど……。
それに、この題でなければ、たしかに、ぼくも手に取っていない可能性があるのだけれど……。

解説にも書かれていますが、ものすごく、共感をもって読むことが可能です。でも、その読み方にも、注意も必要です。

それは、想像力。
「彼女」は、「わたし」だと思って共感するのは とても大事なことなんだけど、それだけでは、前に進まない問題を、いっぱいこの本は含んでいる。
多分、自閉症の人とぼくたちは、全く別の言葉をもっている。
それは、どういうことかということを想像してみること。

例えば、人生で出会った中で、一番理解できなくて最悪だと思った人のことを思いだしてみる。
「言葉が通じない」と思わなかったか?
相手が人間の心を持っていないのではないかと傷ついたりしなかったか?
だれかと、

「こんな困った人がいる」

と話して、共感したことはないだろうか?

もしかしたら、共感してくれる誰かがそばにいてくれる「わたし」が「彼女」なのではなくて、「わたし」を傷つけた相手こそが、誰にも理解されない「彼女」なのかもしれない。

自閉症の人と関わっていくというのは、その言葉が通じないという思いの繰り返しで、多分、ぼくたちは、自分の言葉、自分の物語の中でしか人を理解できない。
彼女が彼女の物語の中で、人を理解しているように。

だから、この物語は感動的であるけれど、ものすごく一方的な物語でもある。
この物語で糾弾された人たちに対して、外から、

「そんなことは、許されない!!」

と言うことは可能だけれど、それだけではすまない問題をぼくたちは宿題として抱えている。
もちろん、「彼女」がどう感じたかという感じ方、考え方は、大切にしながら。

もし、自閉症の人の言い分に耳をかたむけることができれば、論理が通っていると感じることはできるかもしれない。でも、それを理解することは、基本出来ない。

だから、ぼくたちにできることは、自分が受け入れることが出来るキャパシティを出来るだけ大きくしていくことだけです。それも、膨大な、試行錯誤から出てくる経験知(しかも、その中のわずかな例外を参考にしないといけない)で。
100人の中にたった1人しかいない人の言葉を理解しようというのだから。

自分の感傷に浸ってる暇なんてない。
なにか、理解できないこと、理解できない人に出会ったとき、その人の言葉と自分の言葉が違っているのではないかと想像し、省みること。
これは、実はかなり難しいのではないかと思います。
でも、これから、していかなければならないことです。

大切な何かを、切り捨ててしまう前に。

どこまでの彼女を守ることができるだろう?
でも、信じていることは、理解し合うことができれば、おそらく、反社会的であったり、非社会的であったりすることはなくなるのではないかということ。
その「反社会」、「非社会」という概念そのものが、文化の中でわかっていくものだとしても。

祈りのように。

ドナ・ウィリアムズ,Donna Williams,
河野 万里子
新潮社
発売日:2000-06
 

 

  1. 「誰でもなく、どこでもなく」かな? []

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越境者 松田優作

これが、真実の松田 優作……かどうかは知らない。
松田 優作の妻だった人が書いた人のドキュメンタリーというか、評伝。

自分の夢を犠牲にしての内助の功は報われず、若い才能のある女とデキて出て行った男のこと。でも、彼を作り上げた一部は自分であるという自負もある。
そして、けっして憎んでいたわけではない。
これはあくまでも、そんな松田 美智子から見えた松田 優作。

でも、ぼくらがテレビや映画を通してみている松田 優作よりも、多分、リアルな証言なんだと思います。

狂気のようなコンプレックスと、すべてを犠牲にして一つのことに賭ける思い。

と書けば、かっこいい。
でも、犠牲にするのは、自分だけでなく周りも一緒くた。そして、息切れした人間にかける言葉が、

「あいつは、もうダメだ」

ひでえと思う。
自分の半分ぐらい体重の女性を殴りつけて、

「殴った方がいたいんだ」

なんてことをいう馬鹿が、本当にいるということにビックリする。

それでも、えてして、強力な個性カリスマというのはこんなものか?

そして、その狂気があったから、スクリーンのなかの彼は、光を放ち続ける。

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重力ピエロ

今回は、ちょっと展開が読めたかな。
読めたからといって、おもしろくなくなるわけではないのですが。ミステリーとしては、「オーデュポンの祈り」、「ラッシュライフ」の方が、上かな?

まあ、「ラッシュライフ」は、超変化球でしたから、こっちはそれを思うとストレート。だから、読みやすさは、断然こっちの方が、読みやすいです。
でも、やっぱり、「ラッシュライフ」と同じく、おもしろさよりも、巧さの方にちょっと目がいってしまいがちな感じです。

まあ、しょぱなの一文から、「巧い」からなぁ。

悪くないんだけどなぁ。なんだろう?

伊坂 幸太郎,読書オーデュボンの祈り,デュボン,ラッシュライフ,伊坂 幸太郎,新潮文庫,新潮社

ラッシュライフ

伊坂 幸太郎、2冊目です。
ドンドン読ませるうまさが、ありますねぇ。

でも、この本は、ちょっと巧すぎるだろうという気が、ちょっとした。技巧にはしりすぎているというか……。

まあ、見事に騙されたということなんだけれども……。

物語自体が、どこか破綻していて、エッシャーのだまし絵のように循環構造になっていたらおもしろいなぁとも思ったのですが、「イッツオールライト」は、最初にもどる訳ではなさそうです。

そうして考えると、前作「オーデュボンの祈り」のカカシや、階段を歩く人をベランダから眺める人というのは、作者のことかと思ってしまったりします。

あんまり、こういう全能の存在が前面に出すぎると、ちょっと陳腐に感じてしまうと思うのです。
微妙なバランスで、この作品は、おもしろいの方に天秤が傾いてはいるのですが。