陰陽師 龍笛ノ巻
時々、岡野陰陽師を読んでいると、夢枕陰陽師から、遠く離れたところにきたなぁと思います。
でも、ときどき、やっぱり原作、さすが原作と思わせる話がきっちりあってよいですねぇ。
人物の取り扱い方、特に陰陽師の術者関係は、道満にしろ、保憲にしろ、かなり扱い方が両陰陽師の中で違っているのですが、なんか、作品中の人物の韜晦の仕方とかは、ときどき、ドキッとするほど似ていたりします。
操り人形に殺されたからといって、そのその痛みや悲しみが減じるわけではない。
操り人形の操り手の背中には、やっぱり人形と同じ操り糸がついていて、永遠に合わせ鏡のようにそれが続いているとすれば、結局、罪は、「社会」とかそういった巨大なものにしか向けることができなくなる。
でも、操り人形の側でも、被害者側でもないこの視点は、とても、新鮮でした。
その立場に、主人公は、否応なしに立たされてしまうのだけど、わたしたちや、マスコミからすると、どうしてもその部分は、見えなくなってしまうから。
見えないものは、ないから見えないわけではなく、見ようとしないから、見えないのだと思った。
あれ?
どこかで、読んだような気がします。
他社で文庫になってるのかな。
「逆さ悟空」みたいな感じの話が好きです。
「陰陽師」の初期にも、こんな作品ありましたよね。
「如」の字の話。