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新・ゴーマニズム宣言15 中流絶滅

気がついたときには、もう是正できないぐらいの格差がついていて、すべて「自己責任」といわれてしまう。
今、この国がそういう世界になりつつあることを「自由化」を推し進めている人はかわっていてしているのだろうか。

機会の平等すらなくなりつつある。
見せかけのチャンスがあるだけ。

それは、教育の世界でも、進行しつつあるような気がする。

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クラスはよみがえる 学校教育に生かすアドラー心理学

まあ、主張していることは、その通りなのだと思いますが……文体というか、口調がすごく嫌味で、イヤな感じです。

あと、やっぱり学校のことというのは、なかなか見えてこないんだなぁと……。
これはもちろん、なかなか見せない学校の方にも問題があるのだと思うのですが。

どうしても、学校には無限の時間と空間があると思われがちなようです。

例えば、子どもを全体の前で注意してはいけません。子どものプライドを傷つけることになります。(フムフム、なるほど…)でも、ただ見過ごすのは、教育をしていないのと同じです(その通り!)。だから、そういうときは、1人のところをみはからって、そっと注意してあげましょう。

1人になる空間と時間についての考察は、なにもありません。
まあ、各自の創意工夫ということになるんでしょう。

空間は、まあ、なんとかなります。(ただし、最近は2人になると、なにを言われるかわからないという問題はありますが)

で、大きな問題は、時間。
授業中に、他の子たちをほっといて……ってなわけにはいかんよな。
だからといって、休み時間に呼び出すのか?そうすれば、もうその子は、それ自体「罰」だと感じちゃうでしょうね。

この作者、なんか、さり気なく、その子が1人になる時間が、あるような錯覚をしていますが、今の学校で、1人になれる場所なんて……。

そうして、いろいろな創意工夫で、どんどん真面目な教師ほどボロボロになっていくという現状があるようです。

医者(?心理学者?)はいいですよね。
そこに行く人間は、すくなくとも、「治りたい」と思っているんですから。そして、患者がこなくなったからといって、追いかけていく必要はない。
で、熱心に来ている人だけを見て、「こんなけ治した」と言ってればいいんですから。
↑ 暴言です。ゴメンなさい。でも、この本での書きようなら、これぐらい言っても許されると思います。

でも、学校は、行きたかろうが、行きたくなかろうが、「行かなければならないところ」として設定されています。
そのあたりに、大きな問題があるのかもしれません。

もうちょっと、この心理学を勉強してみます。

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トンデモ本 女の世界 下

女の世界といいながら、けっこう下巻は、雑多な世界です。

というか、コレ、育児、教育を「女」のカテゴリーにいれて、自分は安全なところから見下す態度は、ちょっといただけないかも。

内容はトンデモではないけど、世界がトンデモとかいわれると、こまります。

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けん玉

コマ

この日は、けん玉、コマなんかがけっこう置いてあって、こういったゲーム以外の手で遊ぶおもちゃでも、遊んでいました。

わたしの子ども時代は、もうこういった遊びは、すっかり廃れていまして、まあ、あんまり遊んだ記憶がないです。
子ども時代は、ひたすら、「ケッタ」とか「缶蹴り」とかいわれた「かくれんぼ」で遊んでいたか、自転車に乗って遊んでいた記憶しかありません。

ということで、たまに、なにかのおみやげでコマなんかをもらったりすることもありましたが、自分では、全然、まわすどころかひもを巻くこともできませんでした。
そんなわたしが、大人に近い年齢になってから、再びコマを手にすることになろうとは、まったく思っていなかったのです。

転機は、大学時代でした。
わたしはなぜか、幼稚園教諭の免許なんか持ってまして(笑)、その免許習得のために幼稚園に教育実習にいったのです。
ちょうど、その当時、生活科が導入されかけたぐらいの時期で、幼稚園でも、そういったコマとか昔ながらの遊びが見直されているときだったのです。

まあ、その時は、わたし自身、

「今の子どもが、この遊びをすることに、意味があるのかなぁ…」

とすごく疑問視していました。
自分も、出来ませんしねぇ。

でも、そこの幼稚園の子たちが、とっても、上手にコマをまわしていたんですねぇ。

………。
……。
…。

ほら、教生といえどもも「先生」ですから、子どもに負けるわけにはいかない……。

ということで、そのあたりから、けっこう特訓して、出来るようになりました。

コマとか、けん玉をしてみて、わかったことは、これらの遊びって、最初は、ずっと出来ない状態が続きます。
で、ある時、突然、出来るようになる瞬間がある遊びなんだと思います。

続く。

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ビーバーバンデ

前回(2004年3月28日分ね)の大阪で、

「当たり前やん!」

と言われながら遊んだ「ビーバーバンデ」ですが、その後、すっかり気に入った様子です。

時は流れて、あの時、幼稚園だった子どもは、すっかり(?)、小学生になっていました(笑)

そして、すばらしいことに、以前は、あんなにたどたどしかった点数計算が、けっこうなめらかにできるようになっていました。

えーと、自分で点数計算はやりたいタイプなので、以前は、ずーっとカードの点数を数えながら足していってたんです。
でも、今回は、ちゃんと「4」と「2」を見たら「6」というように、サッと答えが出ていました。

あぁ、素晴らしきかな小学校教育(笑)

えーと、でも、この遊びでしている計算って、きっと、学校での計算でもプラスになっていると思います。

楽しく遊びながら勉強できるっていうのは、こういうことかもしれません。

メモリーゲームなんかも、そういう意味で、遊んでいると集中力がつくと思います。

まあ、そのために遊ばせるというのは、本末転倒だと思いますが、「真剣に脳みそや五感を使って遊ぶ」というのは、子どもにとって、とっても大切なことなのだと思いますね。

そして、この時期の子どもって、成長が本当に目に見えておもしろいです。

「ビーバーバンデ」は、運(カード引き)と実力(記憶力・集中力)が上手にからんだよいゲームだと思います。