多重人格探偵サイコ10
自分の存在が、だれかのスペアだったら?
それって、大塚 英志が、さんざんマダラでやってきたことだなぁ。
そして、魂さえが、フロッピー1枚で人から人へ移動したりする。
人は、人のどこを見て、その人だと認識するのでしょう?
やっぱり、ボードゲームが話にかかわってこないといけません。
1話で1つボードゲームの紹介が入るような話。
主人公は、じゃあ、ボードゲームをする人。
うーむ。欠けたものの設定をしなければ。
欠けているのは、……一般常識……って、それは、わたしのことか(爆)。お金…(生なましい話になりそうなのでパス)。やっぱり、一緒に遊んでくれる友だちあたりが無難か。
じゃあ、遊ぶ場所はあるけど、人がいないことにしよう。
そうすると、主人公は、どうするのか?ゲームサークルを作る?
これって、「アクア・ステップ・アップ」やん!
……中略……
これって、「遊戯王」やん!
すいません。嘘です。書きません。
でも、後半が、おもいっきりアジびらになっているあたりが大塚さんらしい。
まあ、おもしろいんだけど。
小説版では、けっこう前面に出ていた耕平のさつきに対する思いというのが、けっこうマンガ版でも明確に出てきたかな。
でも、何にでもやさしい人間というのは、けっこうわかんないからねぇ。
どうなんだろう。
「転生編」があって、その後、エピローグとして「天使編」があって、完結するのだと思っていましたが……。
この「転生編」の完結で、多分、摩陀羅は、完結してしまうのでしょうね。
物語による物語の否定。
でも、その否定すらも、物語にしか過ぎないとすれば、ぼくらは、なにをよりどころにすればよいのでしょうか?
このスニーカーの足の裏の広さほどの現実の中に生きていく少年、少女。
でも、そのスニーカーの下の世界は、現実と呼んでいいのかな?
かつて、白倉 由美が、「卒業、最後のセーラー服」のラストで、主人公たち2人に命の樹を植えさせるラストを描きました。
そして、その予定調和的なラストに、激しく混乱したそうです。
その完全版(?)である「懐かしい年への手紙」では、そんな場所はなかったんだと、男の子の死という現実を描いて見せました。
大塚英志は、そのとき、その場所が「どこにもない」と気付いた白倉 由美に比べると、かなり甘い、やさしい作家なのだなぁと思います。
わたしは、3巻まで出された「天使編」がすごく好きだったので、あの続編を読んでみたい気がするのですが、多分、大塚 英志の中では、摩陀羅は本当にこれでおわってしまったんだろうなと思うと、残念です。
た、探偵。
ちがうと思う……。
でも、ちょっとおもしろいので、清涼院流水に興味をもったりして。
こんな人が、出てくるのか?