古川 日出男一覧

見てきたように

LOVE

古川 日出男は、見てきたように小説(ウソ)を書く。
いや、もしかしたら、本当に見てきたのかも。

二人称の短編連作小説。1話ごとに、主人公も語り手も変わっていく。
最後で語り手が誰か明かされるけど、明かされた語り手が、本当に主人公の行動をすべて見れる位置にはいないのに語っていたという不思議。そして、それでも見えていると強引にいっちゃうところが、この小説のすごいところだと思います。

「ハート/ハーツ」を読んでいるときは、今ひとつノれない文体だなぁと思っていたのですが、「ブルー/ブルース」で加速した。格好いい。いつも、この人の小説に感じるのは、この格好良さです。中二的な。それは、物語的なといってもいいかも。
ニヒルだけれど、正しいことはきっとあるよという強いメッセージであったり、この風景のなかに、いつか行ってみたいと思わせるもの。
どこか一線でリアルを超えて、よりリアルに感じる世界。


エグゾダス

二〇〇二年のスロウ・ボート

彼が治療に何の効果もなくて、自分がそんな者必要なく良くなったのだと考えるのなら、それはそれで、結構。
つまり、治療がとても上手くいったということなのだと思う。

という感じで、アレのリミックスということで、かなーり、ギチギチに警戒して読み始めた「二〇〇二年のスロウ・ボート」ですが。
コレは、アレの100倍ぐらいおもしろいです。
というか、どこまで行っても、ストーリー指向です。古川 日出男。雰囲気だけで書いているアレとは大違いだと思います。

まあ、これはわたしがストーリー指向であるためだと思います。

そして、これも偽史。ここでも、さりげなくフィクションの歴史が、現実を侵略してきます。
徹底している。

特に好きなシーンは、ブラック・ジャックの様に、女子高生が制服の裏の包丁を見せたるところ。
そこから先の疾走感は、最高です。

そういえば、このお話では、走るっていうのが、ものすごい大事なテーマになっています。脱出のために。そして、何かを得るために走る。
最後の手紙まで、本当にドキドキして読みました。

でこねぇさんは、この本を見て、

「これ、あの怖い話書く人だよねぇ」

といっていました。
わたしは、この人、怖い話というイメージはまったくないのですが。
ひたすら、中二的にかっこいい。


若き天才

黒い季節

ファンタジー、歴史物を読んできて、現代物。
格好良さというか、中2っぽさ全開。好きです。漢字の使い方が、かっこいいです。まあでも、これをかっこいいと思うのは、ヤンキー的な、夜露死苦的な感じがないこともないですが。

「天地明察」は、ちょっと中2っぽさは少なかったかな?
まあ、題名と初手天元とかは、ちょっといい感じか。

これを読んでいる間、古川 日出男古屋を思い出していました。とんでもない話なのに見てきたように書くところがにているのかなと思います。
この2人は凄いです。

それにしても、これが16歳の処女作。おとろしい話です。
荒い。でも、ものすごいものが埋まっている感がメチャクチャします。
これが、洗練されて、「ばいばい、アース」にもなるし、「天地明察」にもなっていくんですよねぇ。

角川書店,角川グループパブリッシング
発売日 : 2010-08-25

うーむ、あわない

中国行きのスロウ・ボート

もともと、村上 春樹を読む気はあんまりなかった。
たしか、まだ大学生ぐらいだった頃に「風の歌を聴け」を読んで、まったくピンとこなかったというか、まったくストーリーも、登場人物も、読んだ後に残らないというすごい経験をして以来、まあ、わたしには関係のない作家なんだと思ってきた。
それは、「ノルウェイの森」でベストセラー作家になった後も一緒で、まあときどき大塚 英志とかが紹介しているので、「読む?」とちょっと目に入ってきたりしていたのだが、珍しく買うまところのまでいかなかった。

今回、もう1回、村上 春樹を読んでみよう。それも、「ノルウェイの森」でもなく、「ダンス・ダンス・ダンス」でもなく、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」でもなく、この「中国行きスロウボート」という短編集を読んでみようと思ったのは、古川 日出男の「二〇〇二年のスロウボート」を読むための知識として、これを読んでおかないといけないような気がしたから。

そして、今、この文章を書いているのは2つ目の短編の「貧乏な叔母さんの話」を読み終わった後ですが、1作目の「中国行きスロウボート」の話は、ほとんどわたしのなかに残っていない。
まったく、大学時代に読んだ「風の歌を聴け」と同じ印象。

まあ、感想を一言でいうなら、「なんじゃ、こりゃ」。

「貧乏な叔母さんの話」は、きのう読んだところなので、まだちょっと印象が残っている。でも、多分これも、数日したら、まったく忘れちゃうような話。
出だし、叔母さんが出現するあたりは、ちょっと面白くて吹いた。
でも、その「叔母さん」が、ものを考える「ぼく」の思考かなにかを遠回しに表しているだけで、それで、「ぼく」に叔母さんがひっついていることで友達がうっとしがって離れていって、でも、そのおかげで有名になってテレビに出てくだらない質問に、くだらない答えをして、叔母さんがいる「ぼく」はそんなにいやじゃないというか、むしろ積極的に素敵、と最後に自己肯定してしまうこの話は、アホかと。

どこまで、自分のこと好きなんや。他人のこと、どうでもいいと思っているやろうという感想しかでてこないのです。

いや、もしかしたら、もっと深い話かもしれないですが、わたしは頭が悪のでこんなことした感じなかったです。

うーん。古川 日出男は、村上 春樹のどこに衝撃を受けたんだろう。

「カンガルー通信」まで読みました。
これは、ひたすら気持ち悪かったです。
自分が女子で、こんな手紙が来たら、迷わずに警察に行くと思います。
怖い。

なんか、ラストで「あぁ」というオチがあるのかと思ってがんばって読みましたが、結局、なにもなかった。

わたせ せいぞうとかに感じる、空っぽなおしゃれな感じがするんですよねぇ。
あれ、おもしろいか?
そして、おしゃれとも思えない。いやもちろん、わたしにおしゃれを語れるだけのなにかがあるとは思えないけれど。

うーん。主人公がダメダメな片岡 義男?
片岡 義男は、最近は小説書いてないのかな。けっこう好きでした。

なんのかんのいって、投げ出してしまうほど読みにくくはない。
でも、読んでいる最中も、読んだ後も、心になんにも残らない感じ。
時間を無駄にした感じがなぁ。

と思って読み進めていきましたが、最後の「シドニーのグリーン・ストリート」だけは、けっこう面白かった。
この作品が、他の作品とどこが違うのかはわからないけど。
もしかして、1冊読んでいるうちに、村上 春樹に慣れてきた?

そして思ったのは、この「シドニーのグリーン・ストリート」だけ、 村上 春樹ファンからは、すごく評価低かったりしないだろうか?

あっ、今、「中国行きスロウボート」で、中国人のカールフレンドが泣くシーンをフラッシュバックみたいに思い出した。
あれ、主人公、ナチュラルにいじわるしているんだよねぇ。そして、自分がいじわるしたことすら気づいていないという描写なんだろうか。
でも、そこで読者であるぼくの感じる気持ち悪さは、

「実は、作者すらその悪意に気づいてないんじゃない?」

という気持ち悪さと、それにもかかわらず、意味深げにそのシーンを切り出しているんじゃないかという気持ち悪さが、ないまぜになっています。

これが、村上 春樹の処女短編集。
あと、家には読んでいない村上 春樹が2作品あります。

うーむ。読む機会はあるかなぁ。


鎮魂歌

僕たちは歩かない

えーと、今まで読んだ古川 日出男作品のなかでは、1番地味です。ふんわりとした感じ。
そして、これもやっぱり「偽史」です。でもこれは、ものすごく狭い感じの人たちに向けて書かれている感じがする。

「僕」が語る物語で、「僕」も物語の当事者であるはずだけれども、「僕」って誰という感じでわざと希薄にしてあります。 そこを希薄にすることで、誰でも「僕」に入り込める仕組みになっている。
にもかかわらず、なぜかこれって、個人(小さなグループ)に向けてなお話に感じられるんですよねぇ。
物語を書く動機が、ものすごく個人的なもののような気が。わからないけど。