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ゴーマニズム宣言 EXTRA1

ゴー宣も、広がりすぎて、今、どれが連載続いていて、どれが終わったのかわからなくなってきました。

この「EXTRA」も、1巻とかかれていて2004年に出ていますが、2巻って出てないですよねぇ。これは、「わしズム」に連載されていたもので、「わしズム」自体も、なくなってしばらくたっているので、もう、2巻は出ないかな。

まあ、全部まとめて、まぁゴー宣なんだろうなぁ。でも、その広がっていくものを全部拾い上げて見ていくのは、無理ですな。
常に、自分を矢面に立たせてかいていく姿勢は、けっこう好きです。思想的なものは、まあ脇においといて。

「食から滅ぶ」なんかは、なっとくできるけど、変えるのは難しい。

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挑戦的平和論 下 ゴーマニズム宣言EXTRA

これ、最後のマンガ論が、半端じゃなくおもしろい。
もう、「平和論」は、どうでもよくて(爆)……ぐらいの勢いで、おもしろいです。

その時、その時代でなければ感じられないことって確かにあって、こうやって、熱く語った文章を読むことでしか、それは理解できないんですよねぇ。

大塚 英志の手塚論では、若干、「その時代の空気は意図的にねつ造されたものかもしれない」みたいな考え方もあったのですが、それだけではない衝撃も、確かにあったんではないかと思うのです。
後から見てみれば、確かに同時代に似たものの萌芽はあって、そこだけ取り上げられるのはねつ造的に感じてしまうかもしれないけれど、それでも、その時代の空気のなかの微妙な最先端を手塚 治虫は走っていた気がする。
その微妙な差は、今の時代から見るとものすごく些細で差を感じないけれど、実は、その時代には、ものすごく大きく感じられたんではないかと思うのです。

しかし、平和論より、こっちの方に目がいっちゃうというのは、実は不謹慎なのか?
わたしも、平和な時代の子どもだからねぇ。

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挑戦的平和論 上 ゴーマニズム宣言EXTRA

日本は弱いなぁ。
そして、外交は、弱ければ弱いほど、つけいられる世界なのかも。

バランス感覚が難しいですね。

バランスが悪すぎると、暴力的な解決に頼らないといけなくなる。暴力装置そのものは、あってもよいと思いますが、それには出来るだけ頼りたくないと思うのは、やっぱりわたしが、ヘタレだからなのか?

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靖國論 新・ゴーマニズム宣言SPECIAL

8月が来るたびに……って、もう、12月なんですけれど。

まあ、日本人として忘れていけないことはある。それは、昔の人を貶めることではない。そこは、ものすごく了解した。

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新吼えろペン10

マンガがここまで政治的になったら、やっぱり、いやだなぁと思う1巻。
距離感というのは、大事です。

あぁ、ある意味、ゴーマニズム宣言とかは、それをリアルでやっているといってもいいのかな。