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クラスはよみがえる 学校教育に生かすアドラー心理学

昔、読んだ時よりも、ずっと信じています。
まあ、今でもこの人の語り口は、ちょっと腹立つものはあるのですが。
でも、書かれていることは、全面的に正しいと思います。

まあ、工夫は全部、学校に丸投げですけどね。でも、まったくダメダメなことを丸投げしているのではないので、真面目に受け取るべきだと最近は、思っています。

ただ、いつも気をつけるのは、テクニックとして使わないようにということです。人を自分に従わせたいわけではないということは、いつも気をつけています。

それはそれで、それなりの効果があったりするので、怖いです。

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続アドラー心理学トーキングセミナー 勇気づけの家族コミュニケーション

前巻は、1人2役の対話方式でしたが、今回は、講演を元にした1冊のようです。
今回の本の方が、読みやすい感じです。

うーん、対立しないのはいいけど、相手がそれでも不利益をこっちにもたらそうとするようなことは、あり得るような気がするのですが、その時は、どうするんだろう?

というか、相手の不利益を考えずに、自分の得ばかりを考えていると、この考え方は使えないのではとも思ってしまうのです。

そのあたり、つっこんだ話をさらに知りたいです。

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アドラー心理学トーキングセミナー 性格はいつでも変えられる

今まで読んできたアドラー心理学の本は、「教育」をテーマにしたものばかりだったのですが、これは、もうちょっと広くアドラー心理学全体を俯瞰するような感じの1冊です。

一言で、カウンセラーというけれど、多分、いろいろな考え方(学派)の人が、それぞれの考え方で、カウンセリングにあたっているというのがよくわかります。
そうすると、「自分とつきあいのあるあのカウンセラーは、いったいどんな考え方なんだろう?少なくともアドラーじゃないよなぁ」とか、いろいろ考えたりします。
学校にカウンセラーを入れるときも、けっこう、このそれぞれの学派の考え方というのは、重要になってこないのだろうか?

対話形式で、とってもわかりやすい本でした。

性格の定義とかは、とてもおもしろかったです。確かに、そういわれてみればそうかも。
でも、じゃあなぜ、不適切な対応を憶えてしまうのか(適切な対応こそが、うまくいく手段なのに)という、そのあたりの仕組みは、不思議なものがあります。

ただ、この対話形式というのは、弱点もあって、実は2人いる様に見えて1人だから、ある時点で、予定調和のように理解しちゃうところがあります。
もうちょっと、そこ教えてというところも、ありました。

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クラスはよみがえる 学校教育に生かすアドラー心理学

まあ、主張していることは、その通りなのだと思いますが……文体というか、口調がすごく嫌味で、イヤな感じです。

あと、やっぱり学校のことというのは、なかなか見えてこないんだなぁと……。
これはもちろん、なかなか見せない学校の方にも問題があるのだと思うのですが。

どうしても、学校には無限の時間と空間があると思われがちなようです。

例えば、子どもを全体の前で注意してはいけません。子どものプライドを傷つけることになります。(フムフム、なるほど…)でも、ただ見過ごすのは、教育をしていないのと同じです(その通り!)。だから、そういうときは、1人のところをみはからって、そっと注意してあげましょう。

1人になる空間と時間についての考察は、なにもありません。
まあ、各自の創意工夫ということになるんでしょう。

空間は、まあ、なんとかなります。(ただし、最近は2人になると、なにを言われるかわからないという問題はありますが)

で、大きな問題は、時間。
授業中に、他の子たちをほっといて……ってなわけにはいかんよな。
だからといって、休み時間に呼び出すのか?そうすれば、もうその子は、それ自体「罰」だと感じちゃうでしょうね。

この作者、なんか、さり気なく、その子が1人になる時間が、あるような錯覚をしていますが、今の学校で、1人になれる場所なんて……。

そうして、いろいろな創意工夫で、どんどん真面目な教師ほどボロボロになっていくという現状があるようです。

医者(?心理学者?)はいいですよね。
そこに行く人間は、すくなくとも、「治りたい」と思っているんですから。そして、患者がこなくなったからといって、追いかけていく必要はない。
で、熱心に来ている人だけを見て、「こんなけ治した」と言ってればいいんですから。
↑ 暴言です。ゴメンなさい。でも、この本での書きようなら、これぐらい言っても許されると思います。

でも、学校は、行きたかろうが、行きたくなかろうが、「行かなければならないところ」として設定されています。
そのあたりに、大きな問題があるのかもしれません。

もうちょっと、この心理学を勉強してみます。