水樹和佳子一覧

支配されないことの意味

イティハーサ1

再読です。
こうやって、時間をおいてから読むと以前は理解できなかったことがよく見えてきます。

たとえば、この話がかなり細部まで作りこまれたうえでかかれたものだということは、もちろん以前も感じていたのだろうけど、こうして物語を知ったうえで読むと「ここまで考えられていたのか」というところがたくさんあります。

たとえば、鷹野の感じているトウコを威神に連れて行かれてしまう不安や、トウコの感じているもう一人の自分に対する不安などは、最初に読んだときは、1人の人間のなかにある二面性みたいなものを示すために出てきているのかなぁと思ったりしていました。
でも、実際に読み進めていくにつれて、実は、それが形をもったものであるということがわかっていきます。

また、桂の弟の話とかも、以前は、出てきたときにはすっかりその伏線を忘れていて(笑)、

「なんで、こいつが桂の弟なんだろう……」

とか思ってましたが、ちゃんと、こんなにも前にフリがあったのですね(笑)

以前は、ファンタジーとして読んでいたのですが、今回こうして改めて読んで見ると、これもまた「百億の昼と千億の夜」みたいな壮大なSFなんだなぁということがよくわかります。
すべてが、あのラストに向かって収束していくようすが、とってもよく見えます。


あちらとこちら

イティハーサ2

この時点で、亜神が古き神の跡を継ぐよき神々で、威神がそれに対立する悪しき神々。
そして、その2つの神々の下にいる人間たちも、同じように、威神のところには、悪役がいる……。
そんな風に見えるようにかきながら、作者の目は、しっかりと遠くを見ていたんですねぇ。

すべてを受け入れて、肯定し、許す神。その姿からは、決してそうとはうかがいしれないけれど。

そう。「百億の昼と千億の夜」で阿修羅王が必死な思いで守ったあの世界は、56億7千万年の後に滅びてしまったのですが、もしかすると、この世界は……。
あの思想に負けずに、生き延びていくのかもしれない。

それが、誰にも支配されない「神名を持つ國」の意味というか、存在理由なのかもしれません。


カケラ…

イティハーサ3

おもしろいです。
もちろん、物語もなのですが……。
きのう、「ぼくを探しに」のカケラの話をかいて、今日、この本をよむというのが……。

ここでも、カケラの話がありました。

青比古という登場人物がいて、この人は、とても穏やかな人なのですが、ひとつの疑問にとりつかれている。
それは、簡単にいうと、

「人はどこから来て、どこへ行くのか?」

みたいな問いなのですが、もうその問いに囚われちゃっているんです。

だからといって、その問いに囚われて他人との交流を絶っているかというとそんなことはなくて、その問い故に、世界に対して自分をオープンにしてしまっています。

その彼が、

「おれの魂は、人としての何かが欠けているのだ」

というんです。
彼を理解している那智が、それを聞いて、

「おまえはこの美しい天地と調和できる唯一のヒトかもしれぬ。
 その欠けている魂ゆえに…」

というようなことを考えるわけです。
ここでは、欠けていることは、青比古の原動力としてかかれています。

なんか、こういうタイミングって、あるもんだなぁと思います。


言葉を口に

イティハーサ4

言葉を口にすることの重さと大切さがあります。

言葉は、大好きな人への呼びかけであったり、自分の想いであったり。

言葉のもつ意味は、思われて、口に出されて、音になって、少しずつその力を強めていきます。

だから、口から出る言葉は、出来る限り「いい言葉」であってほしいと思います。
難しい世の中なので、そういうわけにはいかないのですが。

それが、どんなに実現不可能そうにみえても、万感の思いをこめて、

「大丈夫だよ」

と。


人は ゆらいで 人になる

イティハーサ5

好きなシーンがいくつかあって、青比古が、

「お…おれは、時々 キョウジになりたくなる」

というシーン。
それから、香夜がタカヤに、

「おれはもう殺したくない…」

とタカヤが心に思っていたことをかわりに言うシーンですね。


鷹野と桂

イティハーサ6

昔、読んだときは、単純な物語しか理解していなくて、鷹野の桂に対する思いとかは、全然理解していなかったなぁと思います。
弟ではなくて、並んで立つ者になりたかったんだとやっと気づきました。
そして、その想いの元は、ずっと前に見た桂の後ろ姿からきていて、本当に、シーンに1つも無駄がないマンガだったのだと思い知らされます。

そういえば、なんで、こんなに執着しあいながら、最後に結ばれるのが、鷹野とトウコではなくて、ヤチオウとトウコであったりするのかがとかいうのは、やっぱり、ずっと理解できなくて、理解できなかった故に、ずっと、心の中にトゲとして刺さっていたのでした。

今回、読み返してみて、「イティハーサ」は、水樹版「百億の昼と千億の夜」なんだなぁと、そういう読み方をしてはじめて、スーッと理解が通ったところがたくさんあります。


黄実花

イティハーサ7

文庫版「イティハーサ」最終巻です。

黄実花という存在は、お話のなかのアクセントぐらいに思っていたのですが、どうやら、そうではない様です。

那智も、アオヒコも、確かに、黄実花の話をすごく重要視しているんですね。

今回、気がついたのですが、アオヒコと桂のラストシーン。あのとき、セリフに書かれていない言葉。
あのときに、なんて言うべきなのかを教えているのが、黄実花なんです。

そういえば、アオヒコにしろ、一狼太にしろ、トオコにしろ、鷹野にしろ、「救い」を求めているキャラクターのなかで、黄実花は、あんまりその部分に必要を感じていないんですよね。(まあ、キョウジも、あんまり救いの必要を感じていないかも…)
そういう意味では、とても自然体で、ニュートラルなキャラクターとして、設定されているのかもしれません。
そういえば、亜神、威神(そして、目に見えぬ神々)の間で揺れ動くキャラクターたちのなかで、黄実花のみが、どの神にも属していないのでは?

「この物語は、ファンタジーではなくて、SFとして完結しなければならない」

みたいなことを確か水樹和佳子がインタビューで言っていたのを見た気がします。
そのときは、そのSFの意味、こだわりがわからなかったのですが、人の心の動きという物語のなかに、もう1つ、大きな物語があるんだよという意味だったのかなぁ…というか、これは、水樹版「百億の昼と千億の夜」だとい宣言だったのかなぁと思います。

うーむ。
1つの物語が終わった。感慨深いものがありますね。

ところで、わたしの持っている本ですが、初版で、誤植があります。
それも、1番最初の口絵のページに(笑)

「第4部 目に見え神々」

………。
見えるんかい!!

新しい版は、修正されているようでした。


懐かしい雰囲気の……

樹魔・伝説

実は、「イティハーサ」以外の水樹 和佳子の作品って、読んだことないのが判明しました。

あぁ、SFだ。それも、なんというか、懐かしい雰囲気がするのは、やっぱり20年前の作品だからということもあるのだと思います。

星新一、光瀬龍、平井和正、眉村卓と、この時代に影響を与えたSF作家は何人もいるのですが、少女マンガ系でSFをかいていた人は、みんな光瀬龍が好きだったんだなぁと思います。

植物に対する思いとかは、どこか、内田善美を思い出させて、その時代の空気みたいなものを感じさせられます。