大今良時一覧

ぼくたちは許されない。それでも生きていく。

聲の形1

すごいマンガがあるよという話は聞いていて、まあ、購入はしていたのですが、聾唖、いじめと、なかなか重たいテーマだなぁということで未読でした。
今回、アニメ映画になったので見てきました。

映画、やっぱり重たかったけれど凄い良かったです。でも、もし映画館で見たのでなかったら、けっこう途中でめげて見なくなっていたかもとも思ってしまいます。
なんなんだろうなぁこの感じは。多分、「火垂るの墓」なんかと同じで、どこか、自分の罪の意識とかトゲに引っかかるところがあるからかもしれません。まあ、こっちはそれでも、なんとなく希望がある感じで終わって、後味はすごい爽やかなんですけどね。

映画は、メチャクチャよくまとまっていて、本当に必要なところだけを上手に詰め込んだ感じです。手話とかのシーンは、ちゃんと動いているアニメの方が、多分この話を進めるにあたっては優れていると思います。
ただ、深く見たり、内面を掘り下げていくのは、原作マンガの方がいいなぁと今回読んで感じました。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、みんなから離れていく感じとか、西宮さん転校までの時間の経過とかは、マンガの長さがあってのものです。

この年齢の子に、ダメなことがなぜダメなのかを伝えるのは、とても難しい。言葉で、根気よく伝えていくというのは、とても言うのは簡単だけれども。伝わる前から、そのダメな行為そのものは、無理矢理にでも止めないといけなかったりもするし。
映画の感想なんかを見ていると、担任がクソだ、川井さん怖いとか、植野さんや、将也は悪くないみたいな感想が出てたりしているけど、まあそれは、自分のなかの罪を見つめないで、人の罪を告発していたら楽だろうレベルの話だと思う。そういいたくなるのは、自分が、植野さんや、将也であるからかもしれない。(そして、ぼくがこうかくのは、自分が担任や川井さんであるからかもしれない)。

なんというか、生きているだけでねぇ、なんか人にひどいことしているっていうことはあるし、それは多分許されないんだと思います。

それでも、西宮さんが恋をしたのは、将也の真っ直ぐなところ。でも、それが唯一の正解ではない。そういうこともあるかもしれないということで、なにが正しいか、なにが正しくないかは、180度変わってしまうこともある。

映画で気になっていたのは、西宮さんは恋をしていたけど、将也の中にあるのは贖罪の意識だけなんじゃ無いかということ。そうすると、関係としては、いびつな感じだなぁと思ったりしています。まあ、映画が終わっても、登場人物たちの人生は続いていくので、その中で、関係性も変わっていくのだと思うけれど。
そのあたりが、丁寧にかかれた原作でどうなっているのか気になります。


優しさの前提に自分の弱さがあるのなら…

聲の形2

全7巻のマンガを映画にしたということで、マンガの方が丁寧に時間が流れていきます。
でも、映画の方も、どうしても入れたいエピソードやシーンを絶妙なところに入れているのがわかって、丁寧に作られていたんだなぁというのをマンガ版を読んで改めて感じさせられました。

こうやって、マンガ版をゆっくりと読んでいくと、あぁ、硝子のお母さんは手話できないんだとか、いろいろ気づくことも多い。そして、手話が出来ない理由も、なんとなくは見えてくる。
手話を覚えるって、大変。特に、周りに手話を使っている人間がいないのに覚えるなんてことは、なかなか出来ないと思う。硝子のお母さんは、子どもとゆっくりした時間を持つなんてこともなかなか出来なかったんだろうなぁということ、その理由に気づくのは、多分、けっこう難しい。

こういう物語って、親が出てくることって今まで少なかったと思うけれど、「聲の形」の2人の親は、どっちも好きだなぁと思います。どっちの気持ちも、すごく良くわかる。

なんかマンガ的な表現はいっぱいあって、マンガでしかかけない物語なのだけれど、大人も子どももそれぞれ等身大のリアルがかかれていて凄い。


消せない過去

聲の形3

将也の男女問わずのモテっぷりに、ちょっと納得がいかないものを感じたりもする3巻目(笑)
まあ、植野さんとの関係は、映画見ていても気づいたけれど、よりわかりやすくかかれています。そのせいで、余計に恵まれている感がなぁ。

ただ、そうすることで、映画では唐突に出てきた西宮さんの「つき」が、唐突でなくなる部分はありますねぇ。
高校生って(というか人って)、いろんな事を同時進行的に考えながら生きている。

いい感情も、どうしようもない感情も、否定するわけにはいかない。全部ひっくるめての自分です。


死にたがりやの迷子たち

聲の形4

子どもの将也の言っていることも、植野さんの言ってることも、わかるんだけれども、それを肯定する気には到底なれないし、実は良い子だなんて到底言えない。
人にそんな風にあたるぐらいなら、人付き合いそのものをやめた方がマシじゃないかといいたくなる。

「殴っている方が痛い」

なんて理屈は、殴っている人間にだけ都合の良い理屈だと思います。

さて、後半。


ポイント制のハート

聲の形5

修復しかけたように見えていた関係が、一気に崩れ落ちる5巻目。
映画でも見ていたにもかかわらず、凄いダメージというか、衝撃があります。

普段、わたしはマンガって、感想を書いてから次の巻を読みます。そうしないと、どの巻の感想かわかんなくなっちゃうので。ですが、この5巻6巻は、一気読みしてしまいました。

5巻は永束くんの映画づくりの話が入っきていて、ここは映画版「聲の形」ではバッサリとカットされたので、それが面白いというのもあります。これやっていたら映画の枠では収まらなかったけど、これがあることで真柴くんのおもしろさも引き立ちます。映画では、ちょっと唐突な人だったから。
そして、先生も手話を覚えている。これ凄いことで、まあ、それがあるからといっても悪役として見られるけれど気づいて欲しいところです。彼を非難だけする前に、自分なら、そんな風にできるかと。

5巻ラストの崩壊にむけて、あの川井さんに追い詰められて将也がキレるシーンは、緊張感もあるしすごい好きなシーンでもあります。
そして、出会って時間が動き始めなければ貯まらなかったマイナスポイント。多分、プラスもあるはずだけれども。


聲の形6

将也が眠っている間の登場人物達を1人1人丁寧にかいていく6巻目。
将也と西宮さんの物語だった映画版では、ここもバッサリとカットされた部分です。

でも、もしかしたら物語を膨らませていくときに、作者的にはここが1番大切にしたところかもしれないですね。

そして、変われるところあるし変われないところもある。変われないところも抱えて、それでも生きている。
西宮さんのお母さんと植野さん。植野さんと結弦。
将也のお母さんの西宮さんに対する態度も、すごいと思いました。大人だっていっぱいいっぱい生きている。それが、子どもにも伝わればいいなぁ。その上で、やっぱり子どものことを大事だと思っているし、成長して欲しいと思っている。

そして、かかれていく1人1人の内面。選択。

今回、マンガを読んで気づいたのは、もしかしたら子ども時代、

「わっ」

といった将也の声だけが西宮さんに直接聞こえた声だったのかもということ。


てとてとてとて

聲の形7

最終巻。
ふんわりとした着地。

これねぇ、いやな感じでかかかれている大人達も含めて、誰も間違ったことを言っていないということに気づいて欲しい物語ではあります。

だれの中にも、いい面もあれば、受け入れられない面もある。自分の中ですらそうなのだから、他人ならもっと。
それでも、好き嫌いを越えたところで、一緒に生きていかなければならないとしたら、どうやって、自分や他人を受け止めればいいのか。受け入れながら、それでも自分らしく生きていくにはどうしたらいいか。それぞれに、出す答えは違っているかもしれない。

今、どうしてもコイツが許せないと思っていても、何年後かに読み返したら違う考え方をしている自分にあえるかもしれない。その変化すらも、自分自身の選択なのだと思います。

何度も読み返し、大切にして欲しい物語です。


戦うためだ

マルドゥック・スクランブル1

「聲の形」の大今 良時と、冲方 丁ですよ。面白くないわけがない。
ということで、Kindleで安売りしているときに、購入しました。

予想通りの面白さです。

そして、パロットもいいし、ウフコックもいいです。


虚無

マルドゥック・スクランブル2

これが連載デビュー作。
まあ、原作があるといいながら、凄いよね。

聲の形とのギャップも凄い。今やっている「不滅のあなたへ」も、また、まったく新しいことをやろうとしているみたいです。

テーマ的には、なんとなく一貫している感じもありますが。


因果応報

マルドゥック・スクランブル3

なんか、けっこう非道い話になったなぁと。
人であるが故に、簡単に溺れてしまう。自分が憎悪していた対象といつしか同じものに変化していく恐怖。

これは、原作の文章の方を読んでいないのでわからないのですが、冲方 丁って、割とそれを熱くかく人だと思うのですが、マンガは、それをけっこう、淡々とかいています。