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紅の豚 ジブリの教科書7

今までは、ジブリの伝説をずっと、鈴木 敏夫がいろんなところで発進してきたのですが、それをアーカイブとして残しておきたい思いがあっての「ジブリの教科書」なのかなぁと思ったりしながら読んでいます。

大塚さんが書いているように、積極的に時代から降りるというのが、正しい事かどうかはわからないのですが(とこう書いている時点であんまり正しくないだろうなと思っています)、それでも、その時代その時代というものをものすごく感じながらお話が作られているのだということはわかります。
だから、刺さるものがどこかにある。

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借りぐらしのアリエッティ ジブリの教科書16

始めて見た「借りぐらしのアリエッティ」の感想は、ストーリーがないでした。
なんか好きなんだけれども、物足りない感じがしたのです。
でも、何回か見ているうちに、だんだん好きになってきました。

脚本は、宮崎 駿。多分、「トトロ」がそうであるように、宮崎本人が作れば、これぐらいのストーリーで充分に見せる映画になるのだと思います。でも、米林 宏昌監督は、そういう人ではなかったのだと思います。これは、力がないとか層意味ではなくて、あの脚本とは合わないだけだったのだと思います。
わたしは、今まで見たジブリの作品の中では、米林監督の「思い出のマーニー」が1番好きです。

でも、アリエッティの「借り」に行くときのオンの様子と、普段の地味なオフの対比とか、そういう演出の積み重ねは本当に好きというか、しっくり来る。

ところで、大人の事情で、いきなり「16」が出たジブリの教科書。無事、「マーニー」までたどり着くのでしょうか。

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おもいでぽろぽろ ジブリの教科書6

ブルーレイで「おもいでぽろぽろ」見ました。
凄いアニメでした。圧倒された。
なんだろう。ドラマ自体は、今では良くある話な感じもするのですが、やっぱり、あの現代と過去の2種類の絵柄の共存しているアニメというのは、凄い。

そして、「魔女の宅急便」と同じく、が女の子が仕事を考える映画になっていて、そこも面白い。

確かに、宮崎・高畑は、2人1組で考えたら、楽しすぎるぐらいに楽しいわぁ。
多分、数十年後のヤオイのネタになるぐらいには楽しいです。そして、それ読みたいわ。

その後、宮崎 駿は「紅の豚」を作って、高畑 勲は「平成狸合戦ぽんぽこ」を作ります。人の中の動物。そして、ゆるい戦い。
なにこのお互いに対する目線はって思う。

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魔女の宅急便 ジブリの教科書5

これが、最大のヒット作。
なぜか、力を抜いて作ったら、大ヒット。

まあそれでも、他の若い人が監督するはずだった話を横から無理矢理奪った感は、ものすごくあるなぁと。そして、多分、鈴木さん、そうなるのわかってたというか、煽っていただろうというか……。

ものすごく、時代ともマッチしていたんだと思います。

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火垂るの墓 ジブリの教科書4

不思議だ。
「トトロ」で語られる言葉は、全部いらない言葉に聞こえるのに、「火垂るの墓」で語られる言葉は、1つ1つが重くて、何かを伝えようとしていると感じられる。

どっちの作品が、優れているとは言えないと思うのだけど、「トトロ」は語られることを拒否する物語で、「火垂る」は語りを誘発する物語であるようだ。

そこが、宮崎 駿と高畑 勲という2人の天才の、違いなのかも。

信用できないと思っている妹尾河童の語る野坂のエピソードさえ、ちゃんと聞こえてくる。
そして、野坂本人にすら、語らせる力が、この映画にはあったのだろう。

そして、そこまでの作品であるにもかかわらず、監督の高畑自身の欲望は、深く深く、物語のなかに、原作の中に隠されている。

大塚さんの話は、楽しいのだけども、最近のいつものように、ちょっと自分の政治的な思想に寄せて考えすぎだ。
自分の政治的な主張を強化するためだけに「作品」があるのだとしたら、それはつまんないことだと思う。
それから、多くが宮崎との対比で高畑が作った的なことを書いているけれど、どうも、鈴木 敏夫の話なんかを聞いていると、相手の作品を気にしているのは宮崎の方で、もし本当に対比させて作ったのだとすれば、それは、「火垂る」に対比させて「トトロ」が作られているということだと思う。

おそらく、それ以前の宮崎作品への高畑からのメッセージというのはあると思うけど、多分、「トトロ」の表現の細部を気にして「火垂る」が作られた訳ではないだろう。

もちろん、この題材を選ぶ時点で、「トトロ」との対比ということは意識されただろうし、宮崎が自分のいなところで、なにをどんな風にかくのか、ある程度は、高畑は知っていたし想像しただろうけども。
多分、高畑からの直接のメッセージは、「天空の城ラピュタ」と「かぐや姫の物語」が対応しているみたいに、ものすごく長いスパンのもののような気がします。

歴史に残る映画です。
見たら、トラウマも残るけど。

けど、その棘を心に突き立てたまま、ぼくたちは活きていく。