新吼えろペン6
プリンセス。
いやぁ、夢があっていいなぁと(笑)
次の巻にも、また出てくるみたいですねぇ。
「魔法陣グルグル」は、わりとオーソドックスなお話でした。オーソドックスのお話の中のツッコミが、衛藤 ヒロユキの持ち味かと思っていましたが。
今回の「衛星ウサギテレビ」は、かなり、とんがってます。
まあ、機械との融合というテーマは、「がじえっと」でやっていたテーマですねぇ。それと、「グルグル」をくっつけちゃったような世界観は、けっこう好きです。
きっと、話的には、悲惨なものがバックにありそうですが、脳天気な雰囲気もいいです。
でも、今はまだ、2人の主人公が、かわいらしく思えない。
↑ 「グルグル」というハードルが、高すぎるという気もしますが。
でも、この2人がかわいく見えてきたら、きっとこの話は、成功するんだと思います。
1月27日(土)。
今年最初のおてばんに、参加してきました。
遊んだゲームは、
「王への請願」
「メタルルギー」
「犬の散歩」
「ヴァルハラ」
「ワードバスケット」×10
「ゴキブリ・ポーカー」
「ブルームーン・シティ」
「マメじゃないよ」
「ブロックス・トライゴン」
などなどでした。
今回は、持っていったゲームの稼働率がとっても高くて、嬉しい限り。
持っていったのは、「王への請願」、「ブルームーンシティ」、「貴族の務め」、「チグリス・ユーフラテス 王たちの戦い」、「マニラ」などなどでしたが、「マニラ」以外は、全部遊ばれていました。
主催者の白紙さんが欠席されて、若干、新作ゲームが少なかった(かな?)影響もあるかもしれません。
「王への請願」は、まあまあおもしろかったです。
最後の勝利条件が、不思議な感じ。でも、サイコロゲームで、あり得ない目が(イカサマで)そろっていくのは、けっこう楽しいです。
今回、遊んだ中では、「メタルルギー」が、1番でした。良かったです。連鎖が決まると、爽快感があります。
「犬の散歩」は、ゆうもあで遊べそうなゲームだなぁと思いました。
シンプリー・ファンのゲームは、最近よく遊ぶのですが、どれもけっこうシンプルでいいです。
アイデア的には、このゲーム、かなり荒いと思いますが、フィギアがカワイイのでそのあたりでポイント上げています。
「ヴァルハラ」は、ちょっとルールの間違いがあったようです。みなさんの評価は、今ひとつということでしたが、わたしは、割とおもしろいゲームだと思いました。
もう、1回ぐらいしてみたいです。
「ワードバスケット」×10は、時間あわせのためにしました。
これ、そんなに長時間していないんですよ。いかに、レベルの高い争いだったかが良く表れています。そして、わたしはお地蔵さん(笑)
プロとしてはいけない……。
「ゴキブリ・ポーカー」は、おもしろいですが、一戦終わると、ドッと疲れます。
手札枯渇で、負けました。正直者で、いい人は、負けるんです(とお約束として書いておきます)。
ずっと遊んだことがなかった「ブルームーン・シティ」が遊べて、良かったです。
あとは、持っていて、気になっていて、遊べてないのは、「チグリス・ユーフラテス 王たちの戦い」ですねぇ。はやく、わたしも遊んで、
「いや、やっぱり、ボードゲームの方がいいねぇ」
とか言ってみたいです(笑)
「マメじゃないのよ」は、1プレーだけ。奇跡の大勝利(笑)
1回だけでは、運が偏りすぎという説ありでした。
意地悪なゲームだ。
最後は、早うち「ブロックス・トライゴン」。
この形は、微妙にわかりにくい。
また、「チグリス・ユーフラテス 王たちの戦い」持っていきます。
だれか、遊んで下さい(笑)
柳田 國男の名前を知ったのは、きっと大塚 英志経由だと思うので、高校生ぐらいの時かな?多分、大塚 英志のマンガを民俗学的に読み取るという評論のなかだったと思います。
そして、「遠野物語」は、高校の時の読書感想文の課題図書の中にあった。実際にわたしが読書感想文を書いたのは、カフカの「変身」で、他の本は読んでいません。
そして、「遠野物語」と「変身」以外は、題も著者も覚えていないのだから、「遠野物語」は、そのときから、ずっと引っかかっていたのだと思います。
内容は、なんとなく聞き知っていた。なんか、昔話みたいな話らしいと。
大学で、「文化人類学」の講義をうけて、おもしろかった。そこで、日本にもよく似た「民俗学」という学問があると聞いた。その大家が、柳田 國男らしいという話も聞こえてきた。
「民俗学」というものの輪郭が、なんとなく朧気に見えてきた。
「遠野物語」。いつか読んでみたいと、新潮文庫の本も持っていたと思いますが、読む機会がないままウン10年。
今回、やっとこさ、その「遠野物語」と、柳田 國男の作品に触れることが出来ました。
昔話だと思っていました。
違っていました。
ここで語られる遠野のお話は、もっともっと身近なこととして語られていました。
そして、アウトローに生きることすら認めてしまう大きさ。
嘘を笑い飛ばして、生きていく強さ。
そこはかとないユーモア。
「草の名と子供」を最初に読んだとき、いや、草の名は子どもが考えたのではなく、大人が考えたのだろう。昔の人は、今の人以上に草と接している時間があったのだからと、思いました。
それから、フッと自分の間違えと、柳田 國男の正しさに気づきました。
そう、昔の子どもは、大人以上に、ずっとずっと草と接し続けていたのだと。そして、そのまま大人になっていたのだと。
この人の目は、決して優しい目ではないと思う。
でも、なんでも、受け入れてしまう大ききな大きな目です。
そして、今、自分がこの年齢だから感じられることもいっぱい入っていると思います。
出会えて、よかったです。
えーと、妹が、「薔薇のために」という台湾ドラマにはまってて、
「貸して」
というので、家の本棚を探したらありました。まだ読んでない(笑)「薔薇のために」が。
で、年末から年始にかけて貸していたら、
「めっちゃよかった」
と返ってきました。
「麒麟館グラフィティ」は、けっこう楽しかったという印象があるので、それならわたしも、「薔薇のために」を読もうと……でも、その前に出版されている(そしてまだ読んでなかった)この「今でも夢に見る」と「桜 moon」を読んでみようということで、手に取った1冊です。
なかなか、キッカケがないと読めなかったかも。
読むと、おもしろいのですが、なんでなんとなくさけていたのかの理由が見えてきました。
「麒麟館グラフィティ」でもそうだったのですが、吉村 明美の登場人物は、微妙に微妙に、わたしのツボからはずれているのです。
特に、気の強い人。これをかかせたら、けっこう天下一品だと思うのですが、それが、わたしのツボからずれております。
それはやっぱり、わたしの押しが弱いからか(笑)あんまり、押し強くなりたいとも思わないしなぁ……。